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伊佐山紫文 書きもの

「サヌカイトのソナタ」
 中一になる春休み、あの日からぼくの生活は一変した。
 それまでママもパパもぼくを腫れ物に触るようにあつかったし、せっかく学校に通えるようになったのに、友達も出来ず、いじめもあった。
 先生たちも妙に気をつかって、ぼくに真正面から向き合おうとはしない。
 そんな中でも、放課後、一緒に帰ってくれる、隣の高校のお姉さんがぼくの救いだった。
 ぼくはなぜか気を許して、親のこと、いじめのこと、なんでも相談していた。
 なぜだろう。
 お姉さんは全くの他人なのに、他人の気がしなかった。
 そんなお姉さんからお願い事を頼まれた。
 ぼくの住む街から駅で言えば三つ離れた隣町のある家を訪ねてはくれないかという。
 その家に住む夫婦の様子を見てきてくれ、と。
 ぼくは中一になるまで、一人で電車に乗ったことも無かったし、というより、一人で出かけたこともなかった。 
 切符を買うことから、全てが冒険だった。
 電車を降りて、駅からその家に向かう、地図をたよりの道筋は、全てが輝いていた。
 ぼくが始めて見る「世界」だった。
 その家は住宅街の片隅にあった。
 ぼくはその家を外から眺め、夫婦の様子を探ろうとした。
 背は小さい方だった。
 一生懸命首を伸ばして、塀の向こう側を見ようとした。
「何をしてるんだ!」
 後ろから男の人に声をかけられた。
 びっくりしたぼくの口から、思いもかけず、
「サヌカイトのソナタ」
 という言葉が出た。
「なんでそれを……」
 ぼくは家の中に導き入れられた。
 仏壇にはお姉さんの写真があった。
 享年17歳。
 命日は3月21日。
 あの日だった。
 ぼくが心臓移植を受けた日。
 お姉さんの両親は泣いて、泣いて、ぼくに手書きの楽譜を見せてくれた。
 それはお姉さんが、生きていた頃に、サヌカイトという石の楽器の音に触発されて作曲しようとしたピアノソナタの一部分だった。
 お姉さんはそれを完成出来ずに、交通事故で亡くなったのだった。
 脳死で、まだ動いていた心臓は誰かに提供したのだと。
 その誰かは、おそらくぼくだ。
 小さい頃から病弱で、おそらく成人にはなれないと言われていたぼくは、ピアノにだけはのめり込んでいた。
 入院がちだった病院で、小さなコンサートを何度も開いていたくらい。
 ぼくは楽譜を預かり、「サヌカイトのソナタ」を完成させることにした。
 その日以来、お姉さんは出てこなかった。
 ぼくは生まれて初めて、やりがいのあることを見つけた。
 作曲するという目で見ると、ベートーヴェンやモーツァルトの楽譜は全く違って見えた。
 そして完成した。
 事情を知った僕の両親は、お姉さんの両親と協力してコンサートを準備してくれた。
 生まれて初めて、仲の良い両親を見た。
 コンサート当日、ライトを浴びながら、ぼくはお姉さんの
「サヌカイトのソナタ」
 を演奏するのだった。
「お姉さん、聞こえる?」

 

(終わり)

 

小説「口縄坂のオダサク」

「何か、欲しいものとかあらへんか? 持ってくるで」
「あなたの、子ども」
 いきなり愛人からこう言われて動揺しない男がおりましょうや。
 イヤ実際、この男、オダサクこと小田作也も驚いたのなんの、遠藤和美とのっぴきならぬ関係になってもう八年、また入院することになったと聞いて見舞いにきた病室で声低う、こう言われては、相手の顔を見ることも出来ず、あらぬ方向を眺めて黙り込むばかり。
「……私には、もう無理やし、奥さまに……」
 その先は言わずとも察せられたが、オダサクももう今年で四十一、姉さん女房の優子は四十三、とてもではないが年齢的に無理、と言うか、この十年来、まともに手を握りあったこともない。
 十九年前に一緒になって最初の二年ほどは型通りにも励んでみたが、そのうちあたりまえに新婚の蜜も腐りはじめ、しかもオダサクが浮気の味を覚えてしまえば自然に夫婦の仲は遠くなり、『子どもなんざウルサイだけ』とうそぶくに至り十数年、今になって子どもが欲しいなどと妻の体に手を伸ばしでもしたら、それこそ、その手をピシャリとはじかれるが関の山、それでもと強引に迫った日には、ヘタすりゃ、すわ家庭内暴力と警察が飛んでくるやもしれぬ。この「奥さま」と子作りなどもってのほか。それが愛人の口から「奥さまに……」。
 実態無職・自称作家のオダサクのこととて、今日も時間はじゅうぶんにありはしたのだが、和美に真剣な口調で「あなたの子ども云々」と言われてはいたたまれない。話も早々に切り上げ、逃げるように病室を出て、廊下を歩きながら指折り数えてみれば、和美の入院も四度目になる。
「今度こそ、私、ダメかも知れへん」
 初めて聞く弱気なセリフに、これまで隠してきただろう和美の本音がうかがえて、オダサクは切なさに言葉もない。
 それでも病院を一歩出れば、外界には澄み切った冬空からの幸福そうな光が満ちていて、この光の下を和美と一緒に歩けなくなるかも知れぬと思うと、初冬の澄んだ冷気がオダサクの目と鼻を刺す。刺されてあふれてきた涙を拭くために、オダサクは駅前で貰ったティッシュをズボンのポケットから取り出して鼻をかみ、同じ紙で涙をぬぐう。
 山頂にある病院から電車の駅まで、冬枯れの木立の中の石段を歩きながら、オダサクは泣いた。泣いた泣いた。さすがのオダサクでも大声を出して泣くのははばかれ、声を押し殺して泣いた。涙が、ただ、ただ、止めどなくあふれてきて、自分は本当に和美を愛しているのだと、どうしようもない運命を呪い、どうしようもない自分を哀れみ、オダサクは泣き、同じティッシュで涙をぬぐい、鼻をかんだ。駅に着いて、絞ったら涙と鼻水がグジャッとあふれそうになったティッシュをゴミ箱に投げ込めば、『ボドッ』と、ネズミが地べたに墜落死したような音がして、不吉のあまり、オダサクはティッシュを投げた手をシャツの裾で拭いた。
……さて、そろそろ、この悲恋物語の主人公たるオダサクとはいかなる人物か、どのような人生行路を経由して、今日この日、この神戸の高台まで歩んできたのか、読者にはいささか退屈かも知れぬが、主人公がノッペラボウでは脇役にも気の毒というもの、ここで少々回り道して、我が主人公の人と成りとを語らねばならぬ。
『オダサク』とは言わずと知れた昭和の大作家・織田作之助のニックネーム、これを小田作也が小学校三年の時分、文学好きの担任が先代に無断で襲名させ、しかも、同じクラスには太宰治の本名と通じる津島修司なる男子がいたものだから、こいつは当然『ダザイ』、ダザイとオダサク、あと『アンゴ』がいれば完璧だ、などと言う意味も小学生にはわからぬまま、ダザイとオダサク、ダザイとオダサク、二人セットで呼ばれれば二人同時に返事した。
 しかもオダサクたる小田作也とダザイたる津島修司とは、商店街の老舗のボンボン同士、なんとはなしに気が合ったものだから、結局、三十過ぎてダザイが東京に出て行くまで、この二人、大阪でなんやかやとつるむことになる。で、そのなんやかやがこじれてオダサクは今日この日、神戸市北区鈴蘭台の病院にまで歩んで来たのだが、これはまた後の話、今はまだオダサクの生い立ちを語るべきである。
 で、オダサクの生い立ちを知るには、まずその手、とにかく同世代のどの女よりも美しいと断言できる、むっちりとして白い、皺の一つもない手を見ればいい。オダサクはそもそも手が汚れるような労働などしたこともないし、またこれからする気もない、それを、この美しすぎる手が証明しているようなもの、まずまともな経営者なら、こんな手をした男を雇おうとは思うまい。
 それから髪である。白髪のほとんどない、黒々と染めたようなフサフサとした髪、これもまた年齢からすれば異様であって、これまでまったく毛髪にストレスをかけない生き方をしてきた証しとも言え、美しすぎる手と相まって、オダサクの就職活動にどす黒い影を落としている。
 おまけに肥満とは無縁のスラッとした体型、これも日頃の節制のたまものと言えば聞こえは良いが、これもまた、単にストレスと無縁、かつ充分なジョギング時間を確保している証左なわけで、人並みにストレスのかかる仕事をして忙しく立ち働けばどうなるかはわからぬ。逆にそれがよくわかっているからまともに勤めようとも思わない。就職の難しさとか言う前に、そも、働く気がないのである。
 それではオダサクはどうやって食っているのか? 
 主夫だの創造的失業だのなんだのと、本人の言い様は色々あろうが、一言で言えば、ヒモである。大学を中退するまえからずっと、裁判所書記官たる優子の稼ぎで食ってきた。住み家も西宮市内の公務員宿舎である。
 ろくでもない男と言えばそうなのだが、悲しいかな、しかしオダサクにとっては救いなことに、生き方のろくでもなさは容姿には出ぬ。すなわち、オダサクは、生き方のろくでもなさとは対極の容姿、今風に言えば「イケメン」、もっと今風に言えば、「めっちゃ」のつく「めっちゃイケメン」なのである。しかもボンボン時代に身に付けた身だしなみは貧乏なヒモになっても崩れることはなく、むしろ季節に応じ身に応じた安物の着こなしは、もはや洗練的清貧の域に達していて、これにはその道のプロさえうならせて、男性向けファッション誌にモデルで出たこともある。だから、というのも女性をバカにした話で申し訳ないが、女で苦労することはあっても、女に苦労したことはついぞない。
 そのオダサクが、この五年ほどは和美以外の女との関係を持っていない。逆に言えば、和美とのっぴきならぬ関係になって三年ほどは他の女もいたわけだが、その女がオダサクのウワノソラな気持ちに気づいて去ってからは、まさに和美一人に尽くしてきた。いや、尽くすというのはおかしい。デートにかかわる費用の全ては和美がもってきたのだから、ここは『和美一人に尽くされてきた』とでも言うべきだろう。いや、これもおかしい。妻からは相変わらず家計を任され、食費だの何だのを節制した残りはすべて自分の小遣いとして自由に処分してきたのだから、正確には『妻と和美との二人だけに尽くされてきた』とすべきであり、まったく、語れば語るほどに腹の立つ、ろくでもない男である。
 ホテル代を払うときも、形だけ財布を出そうとするオダサクを制して、いつも和美は「奥さまに申し訳ない」と一人で払うのだった。で、オダサクは「悪いね」と財布を引っ込める。枕語りにも「サクちゃん(と和美はオダサクのことを呼んでいたらしい。胸くそ悪い)の才能は私も奥さまと同じくらい、ううん、それ以上に信じてるし、私もサクちゃんの助けになりたい。奥さまの機嫌を損ねんよう、くれぐれも気をつけるし、だからそばにいてもかめへんでしょ?」
 まさに都合のいい女、実際、最初のうち、オダサクにとって和美は都合のいい女以上でも以下でもなかった。ところが、ある事件が起きて、まさに急転直下、オダサクは生まれて初めて女への愛を知るのだが、これはまた後の話、今はまだ、このようなろくでもない男がいかにして生じたのか、その来歴をさらにつぶさに語らねばならぬ。
 と言うのも、いかなオダサクとて遺伝と環境の産物、生まれながらにしてこのようなロクデナシだったわけではない。天満橋の老舗昆布卸の四男に生まれ、小学校に入る前にはすでに二ケタの暗算をこなしていたオダサクは、お使いのおつりを瞬時に計算する神童として商店街の皆に知られていた。電子計算機のない時代、ちょっとした計算でも皆がそろばんに手を出していた時代である。十二円のリンゴを六個買って百円出したらおつりは二十八円、だれにも教わることなくこのような計算を楽々こなしていたオダサクに一家の期待が集まるのは仕方のないこと、特にオヤジさんの期待は大きすぎるほどに大きく、「学費はナンボでも出したるがな。大学院でも外国でも好きなところに行って学者になれ。ノーベル賞を取れ」というわけで、ストレートで阪大の理学部に入った、ここまでは良かった。
 享保何年創業以来ずっと昆布を商ってきたのがオダサクの家だったのだが、そもそも松前船の時代じゃなし、普通に考えれば今の今、北海道の昆布を東京を飛び越して大阪で商う意味が分からん。東京の食品メーカーや商社が直接北海道の漁協に話をつけることも珍しくなくなったし、各家庭での昆布の消費量が目に見えて落ちてきたのは市場の小売りの売り上げでも体感された。そこで危機感を覚えたオダサクの兄たちは、何を思ったか商売の国際化に乗り出した。
 大阪でやるならアジア全体を見据えなけれならぬ、とオダサクの兄たちはハバロフスクの、当時は「ソヴィエト連邦」と呼ばれていたロシアの地方政府の役人と組み、ソ連産昆布の安値での輸入を企てた。当初は上手く行くと思われたソ連産昆布だったが、モスクワの方でアンドロポフがゴルバチョフがと言っている間に政情は一気に不安定になり、地方政府の役人は法外なワイロを要求してくるようになって、ワイロも含めた損益分岐点がどうのとオダサクの兄たちが逡巡している間に、闇のルーブル・円レートで円が急騰、大手の商社が参入してふんだんにワイロを使ってもそろばんが合う状態になった。で、ロシアの役人たちは露骨にオダサクの兄たちを無視し始めて、気がつけば養殖場から加工場まで、すべてイチャモンをつけられて没収され、借金のみを残してオダサクの家のロシア事業は幕を閉じた。
 法律が云々と言われれば無知な昆布屋は泣き寝入りするしかない。裁判なんぞもってのほか。で、当時、大学の一回生だったオダサクは生まれて初めて法律というものを勉強し、契約自由とか権利義務云々の恐ろしさを知り、これは物理学なんぞやっとる場合じゃないぞと理学部から法学部に入り直した。ここでまたオダサクは、学者の道を捨てて弁護士を目指す孝行息子として一家の期待を集めたが、在学中に司法試験を突破して弁護士となって商社相手に裁判して勝とうなど、来年ノーベル賞を取るより無謀、これは普通に考えれば明らかだった。
 だが、そもそも空想癖のあったオダサクである。しかも小学三年生のころからずっと著名な作家と同じニックネームで呼ばれるうちにその織田作之助の作品への興味も湧いて読み始め、次第に同時代の作家の作品へも読書の幅を広げ、時には小説に夢中になりすぎて現実と物語の区別をなくすこともあったオダサクである。地に足のつくはずもなく、たとえば商社相手の裁判にどうやったら勝てるかよりも、勝った後の記者会見での勝ち誇り方を考えふけり、そうなるとウキウキして居ても立ってもいられない。自分が負けることなどあるはずがない、なぜなら自分は勝つからと、こんな想念にとりつかれると真っ当な忠告など耳に入らず、このこと自体、法律家には向いてはおらぬという動かぬ証拠、だから、もしこのころのオダサクが冷静に将来を考えることが出来たなら、迷わず中学か高校の国語の教員を選んでいたことだろう。
 だが青春とは残酷なもの、しかもオダサクの場合、これまでどのような難関も易々と突破してきた自信がある。だもので、試験には向き不向きがあるという簡単な真理にさえ気づくことさえままならず、司法試験も半年も勉強すれば突破できると思い込んで余裕しゃくしゃく、何も焦ってはいなかった。
 ところが、最初に参加した論文ゼミで出された次のような司法試験の問題を読み、オダサクはつい堪らず大笑いしてしまった。

 昭和五十八年刑法第1問
 散歩中の甲は、乙が自宅前に鎖でつないでおいた乙の猛犬を見て、いたずら半分に石を投げつけたところ、怒った猛犬が鎖を切って襲いかかってきたので、やむなく隣家丙の居間へ逃げ込んだ。情を知らない丙は、突然、土足で室内へ飛び込んできた甲を見て憤慨し、甲の襟首をつかんで屋外へ突き出したところ、甲は猛犬にかまれて重傷を負った。
 甲、乙及び丙の罪責を論ぜよ。

 先輩に、何がおかしい、何がそんなにおかしいのか説明してみろと言われ、オダサクはこの問題の状況を事細かに小説のように語り、役者のように演じて見せた。もちろん、そこにいた女子学生たちの視線を一身に集めたのは言うまでもなく、しかもその中には三宅優子、すなわちオダサクの将来の妻となるべき女子もいた。
 で、オダサクが『昭和五十八年刑法第1問』を爆笑のうちに演じた後、先輩の法学生がポツリと言った。
「君は法律家には向いてないよ。小説家か役者にでもなったら?」
 この後「だいいち『情(じょう)』は『なさけ』ちゃうで、『事情』の『情(じょう)』やで。『なさけを知らない丙は』って、オタク、本気で司法試験受けようと思ってはるの? それに問題は『罪責を論ぜよ』って言ってはるやろ、オタクが言うように『甲』が幼稚園児やったら責任能力自体が……」と延々続いたらしいのだけれど、もはやオダサクの耳には入ってはおらぬ。
 このとき、オダサクは、この先輩の最初の一言を聞いて、はじめて、自らの、自らによる、自らのための人生の可能性に気づいたのだった。
 すなわち、自分は自分のために「小説家か役者」にも『なる』ことが出来るのだ、と。
 思えば、自分はこれまで親の期待に応えようとしてきただけだった。
 たとえばおつりの計算が速いから数学や物理も得意だろうし、だったら理系に進んでノーベル賞を取って親を喜ばす、と。
 たとえば家族の商売が困っているから法律の勉強をして弁護士になって店を助ける、と。
 この将来設計のどこに自分がいる?
 どこにオダサクという人間の人生がある?
 すべて親の人生を上手く回すための部品じゃないか。
 そこに気がつくと居ても立ってもいられない。オダサクは、来年にも法学部から文学部へ転向するつもりだと、誰かれかまわず、熱く熱く、取り憑かれたように語り始め、この時はじめてオヤジさんも、息子の育て方を間違ったことに気がついた。
 家族皆の説得空しく、オダサクが文学部に入り直したのを知って、オヤジさんは、
「小説家になるやと! 何考えとんねん! 勘当や!」
 勘当という言葉にブンガク的に反応したオダサクは、すかさず、
「勘当? 上等や!」
「出て行きくされ、このボケ!」
 で、転がり込んだのが優子の公務員宿舎。
 このときの優子は、まだ、オダサクにとって都合のいい女の一人にしか過ぎなかったが、何より公務員という身分の安定性から、しけ込む先に選ばれた。こうしてヒモたるオダサクが誕生したのだった。
……ここまで読んできて、聡明な読者諸氏はいぶかしく思われたかも知れない。
 なぜに神ならぬ私がここまで詳しくオダサクの内面を知り得たのか、と。
 その事情については追々語っていくつもりだが、ここで一つだけ明らかにしておくなら、実は私の手元には、オダサクの遺書となったノート『我が生涯の恋』七冊があるのである。このノートも使いつつオダサク・和美の悲恋物語を書いて欲しいと言うのが生前のオダサクの望みであり、であれば、私も物語に関わる者の一人としてその望みをかなえてやらねばならず、出来得る限り、ノートに忠実に内面の描写にも踏み込んできたという次第。
 だが、そもそも、このパソコンの時代に『我が生涯の恋』などというノートを何冊にもわたって書き連ねること自体、私にとっては反吐の出そうな自意識過剰であり、しかも書いたのがオダサクのようなロクデナシとあっては、読み進むにしたがって胸くそ悪さも倍加して、何度放り出そうと思ったか。が、かといって、この作業がまったくの苦痛だったかと言えばそうでもない。そのことも、これからこの物語が進む中で追々明らかになっていくことだろう。
 さて、実家を追い出されたオダサクはその日のうちに優子の公務員宿舎に転がり込んで、とりあえずの宿と飯とを確保した。優子は優子で、まさにオダサクにお似合いのグウタラ女だったものだから、洗濯して部屋をきれいに片付けてくれて、おまけに三度の飯を作ってくれればこれほどありがたいことはない。しかもオダサクの料理の腕は、昆布の選び方やカツオの削り方に始まって、デュラム小麦を仕入れてきての手打ちのパスタに至るまで、そこらの飯屋のオヤジが裸足で逃げるほどのものだったから、グウタラのくせに味にうるさい優子にしては願ったりかなったり、割れ鍋に綴じ蓋の、奇妙な疑似夫婦の誕生である。
 それでも、これでオダサクの将来の展望が開けてきたというわけではない。吸い物の出汁の取り方は知ってても、どうやったら小説が書けるのかはさっぱりわからんし、そのくせ学内の同人誌など、掲載された小説の一行目に目を通しただけで「あほらし」と蔑んでいたものだから、結局は孤立して誰も何も教えてはくれぬ。それでも授業には数年はそれなりにマジメに出ていたものの、ところが近代文学史の授業で、担当の教授がある作家の言葉を引きつつ自嘲気味に「作家になりたいから文学部に行くなんてヤツの気が知れん。俺なら四年間、鴎外全集を繰り返し読んで過ごす」と言ったのを聞いて『なるほど!』と膝を打ち(実際には打たなかったのだろうが)、古書店で織田作之助の全集を買ってきて宿舎で日がなゴロゴロ、大学へも行かずパラパラ読んで過ごすようになって、ゴロゴロパラパラやっているうちはまだしも、半年もすれば単に宿舎のテレビでゴロゴロになり、翌年には除籍になった。
「文学部なんざ、出てない作家の方が多いんや」
 そりゃそうで、オダサクが知るほどに名を残した作家であれば、才能もあろうし、意思も強かろう、だったら大学で凡人向けのカリキュラムに従う意味などありはしない。そもそも、どれだけためになろうが、常人には、一人で誰かの全集を繰り返し読んで勉強するほどの意思の強さなどあろうはずもなく、だからこそ大学に行ってカリキュラムに従って体系的に学ぶのである。だがオダサクがそのことに気づくのはずっと後。
 さて、このころ、優子も、男と同居していることが親にばれて勘当状態になりかけていた。もちろん、優子の親も二十五過ぎの娘が男と同居と聞いて逆上するほど無粋ではなく、かといって、その男が大学除籍になって作家修行中の無職と聞かされてまで「そりゃぁ良か!」と喜ぶほどの粋人でもない。オダサクの素性を根掘り葉掘り聞いて、当然なことに「そげなろくでもなか男とは別れんか!」となる。ところが優子は優子で、自分が一瞬でも信じたオダサクの才能を、何も知らぬ親に頭ごなしに否定されては意地になる。
「サクちゃん(優子もオダサクのことをこう呼んでいた)には絶対に才能があっと! 私には分かっと!」などと電話口で必死に九州の親を掻き口説く。ところがそれが、オダサクには耳が痛いというより忌々しい。
「だから言うとるやない、まだ何も書いてはなかとよ。それでん、わかるやろが、雰囲気とか、そういうのに才能っちゃ出てくるもんばい……だ・か・ら、それは向こうの親御さんの誤解って……確かに二回学部をかわったよ……そりゃ事情っちゅうもんがあるって……除籍になったつは……でん……仕事しながらって、作家っちゃ、そげん甘めえもん……騙されちょらせんって! なんぼ私でん、そんくらいは……だから大丈夫っちゃ! とにかくサクちゃんにゃ才能があっとよ!」
 自分の才能の有無を巡って毎日毎日親子喧嘩! これをそばで聞いていて気持ちの良い男がいるだろうか。しかもそのことに優子は気づかない。業を煮やしたオダサクは、ある夜、ついに優子から受話器を奪い取り、
「優子さんにお世話になっております、小田と申します。近々ご挨拶に伺おうと思っておりますが、いつ頃がご都合よろしいでしょうか」云々。
 と、勝手に保護者面談の話をつけてしまった。
 で、優子に、
「アネさん(と優子のことをオダサクはこう呼んでいた)、もう結婚しょか?」
 二十七になっていた優子に反対する理由があるはずもない。翌週のフェリーで九州に渡り、オダサクは優子の両親と面談した。
 そもそも、ろくでもない生き方さえ容姿には出ないものであり、ましてや、ろくでもない考えが容姿に出ようはずもない。村からほとんど出たことのない、知的生活とはついぞ無縁な農家を籠絡など、オダサクにとってはネズミの赤子の尻尾を半ひねりするよりたやすいこと、だから何の不安もない。
 実際、オダサクの、大阪弁で言えば「シュッとした」都会的な容姿に瞬時にして母と妹が落ちた、と見て取るや、博識かつ都会的な話術で父親と兄夫婦もまでも煙に巻く。で、泊まって行けと言われれば、その部屋には布団が二組、微妙な距離感をもってひいてある。
 これで優子の家とは一件落着である。
 両親が本音のところでどう思っているかはわからんが、とにかく才能の話は雲散霧消、しかも母親や妹や兄嫁はオダサクがいたくお気に入りで、毎年農閑期に一家総出で関西旅行に出て来てはオダサクの案内で神戸や京都を食べ歩く。結婚式をしなかったとか、籍がどうなっているのかとか、無粋なことは聞きもしない。
 子どものことは、
「ぼくも早く欲しいねんけど……」
 などとオダサクが遠くを見ながら寂しく答えて以来、聞きもしない。
 これでオダサクのヒモとしての地位は安泰である。もちろん結婚したとはいっても籍は入れていないし、入れる気もない。当時、別姓がマスコミの流行りで格好良かったからとかいうわけではなく、「内縁」というブンガク的な響きがオダサクには実に心地よかっただけである。
……こうして運命のあの日に至るわけで、ここまでがオダサク・和美の悲恋物語の序曲、すべからく浪漫主義的な悲劇は自然主義的な舞台でこそ演じられてしかるべき、という私の主義からすれば、まさに天の配剤であり、あとはもう、起こったことを淡々と、サクサクと、オダサクの『我が生涯の恋』に従って記述するだけである。
 で、オダサクはこれまで紹介した通りのロクデナシのエゴイストではあったけれど(いきなり淡々とした記述からは外れてしまうがどうかご容赦、淡々サクサクは目標として徐々に)、人々にとって幸運なことに社交を好む方ではなく、それほどの実害を他人に及ぼしてはいなかった。などというと、これまでオダサクに関わった女たちから異論が噴出しそうだが、この場合の「社交」には女性とのアレコレは含めない。なぜならこれまでオダサクが積極的に女を求めたことなどついぞなく、すべて女とのアレコレはいつも向こうからやって来るものだったから。
 たとえば中二の時のはじめての女は三十過ぎの乾物屋の出戻りで、もちろん向こうから誘ってきたのだったし、はじめて好きだと感じた中三の同級生には告白する前に告白されてしまったし、とにかく、とっかえひっかえ(書き記すのもアホらしいので他は割愛、淡々サクサクが目標である)、オダサクにとって、女とは向こうからやって来るものだった。であれば女との「社交」など問題になるはずもない。たとえオダサクが寡黙な酪農家で、何を語りかけても牛の目を見て「ん?」と「ん!」しか答えないような男だったとしても、女たちは「そこが良いのよー」とか言って群がり集って列をなすに違いない(本当は「イケメンならなんでも良いのよー」のくせに、ケッ!)。
 いや、まあ、とにかくオダサクにとって女とは向こうからやって来るもの、そしていつの間にかどこかへ去っていくものでもあった。オダサクは基本的に「冷たい」男なのである。いや、いくら『我が生涯の恋』の表現を尊重するにしても、単に「冷たい」では誤解を受けるおそれがある。ここではもう少し穏やかに、オダサクが震災の時に使った「心の基礎代謝」という言葉を前倒しで使うことにする。オダサクは「心の基礎代謝」が極端に低い男なのである。もちろん大阪の商店街の生まれだからボケツッコミは自家薬籠中、口を開けばきちんと話にオチがつき、戯れに「バーン」と撃たれれば満員電車中でも「や・ら・れ・たー」と苦しみ藻掻いてみせもする。だが、そのどこかに「心の基礎代謝」の低さが見え、親密になればなるほど女はそれを「冷たい」と感じるようになる。で、去っていく。当然、オダサクが追うことはない。むしろホッとする。間髪を容れることなく他の女がやってくる。去っていく。この繰り返し。哀れと言えば哀れだが、もともとが、牛相手に「ん?」と「ん!」だけで半年は生きていける男、テレビとエロ本さえあれば寂しくも何ともない。実際、文学部を中退してからは優子だけがほとんど唯一の話し相手、もちろん週に一、二度はとっかえひっかえ色んな浮気相手と会ってはいたが、半年も続けば会話らしい会話も消え、おまけにベッドでのサービス精神皆無なものだから、これでは相手の女も呆れて飽きて去っていく。もちろん追わない。で、どこからか次が来る。この繰り返し。実に何というか、哀れと言って哀れむには羨ましすぎるが、やはり哀れなのだろう。
 で、運命の日がやってきた。
 神戸や西宮の住人にとって運命の日と言えば、言わずと知れた、阪神大震災である。この日を境に、と言っては言い過ぎだが、この震災に引き続く様々な事件がオダサクの「心の基礎代謝」をほんの少し上げ、そしてそのほんの少し上がった基礎代謝の部分に反応したのが和美であり、だからこそオダサクにとっても、これが「我が生涯の恋」として致命傷になってしまったのだ。
 で、私が『我が生涯の恋』を読んでいて最も違和感を覚え、かつ憤ったのは、和美との関係を自ら「我が生涯の恋」などと呼んでいながら、その出会いについては「良く憶えてはおらぬ」などと軽く流していることで、なんぼ「心の基礎代謝」が低かろうと、これは許せぬ。いや「憶えてはおらぬ」からこそ、オダサクもこの私に『我が生涯の恋』を送りつけてきたわけで、ある意味、得心がいったと言うべきか。
 何を隠そう、和美は私の元カノなのである。
 しかも私が生まれ故郷の大阪を捨てて東京に出て行ったのは、実は和美をオダサクに取られた、その深い深い、深い、深い、深い、深い! 傷を癒すためであり、その傷が癒えてはおらず、今でも和美に謝り続けているからこそ、私は今でも独身なのである。「我が生涯の恋」というなら、私にとっての和美もそう呼ばねばならぬ。いや、私にとっても「我が生涯の恋」であるからこそ、オダサクの物語も、むしろ和美の「我が生涯の恋」の物語として書き記す意味があろうというもの、ここで察しの良い読者はもはや気づかれたことだろうが、私こそオダサクの幼なじみにして、ほとんど唯一の友人であった「ダザイとオダサク」の片割れ、ダザイこと津島修司その人なのである。
 まあ、オダサク・和美の悲恋物語を語る上で私自身のことはどうでもいいと言えばいいのだが、しかし、オダサクが肝心の和美との出会いを「良く憶えてはおらぬ」のでは話にもなんにもならぬ。ここだけは『我が生涯の恋』で欠落した部分を私の記憶によって補いながら記述を進めることにする。必然的に、相当程度、私の主観が入ることになろうが、ここは読者の寛恕を乞いたい。
 さて、運命の日に戻る。
 運命の朝、オダサクはいつものように五時に起き、いつものようにウドンをこねていた。当時、オダサクの家では朝は忙しいからウドンと決めていて、と言えば、読者には、忙しいのに手打ちウドンをこねるなど矛盾じゃないかと思われるかも知れないが、忙しいのはただ優子さん(年上なのでこれからは「さん」付けにします。以下、特に断り書きがなければ丸カッコ内はワタクシ・ダザイによる注、あるいは傍白です)のみで、オダサクは早起きさえすればナンボでも時間を作ることができるのである。また、夜のうちに生地をこねておけばいいじゃないかという疑問が湧くかもしれないが、そこはそれ、オダサクが打つのはナニワのウドンであって、サヌキうどんではない。サヌキのように踏み込んで空気を抜き一晩寝かせた硬い生地ではなく、あえて手ごねのみで空気を残した生地の、だから熱湯に放り込めば一瞬沈みかけながらすぐに浮かんでくる、柔らかいながらももっちりとした、噛めば歯に吸い付くような、喉ごしの良いナニワのウドンなのである(『我が生涯の恋』は、このような、食生活にまつわる無意味に微細な記述に満ちている。織田作之助の二番煎じか?)。で、このようなウドンなら五分で食えるから優子さんもギリギリまで寝ていられる。弁当はウドンの生地をこね上げて寝かしている間にオダサクが作るし、優子さんにとっては、正味、起きてから出勤まで、朝食五分と軽くメイクするだけの時間をみればいいわけで、まるで主婦のいる男のような生活、これに慣れてしまっては、オダサクの少々の行状など大目に見る気にもなろうというもの、まさに割れ鍋に綴じ蓋、もし運命の日が来なかったなら、このような生活が優子さんの定年に至るまでずっと続いていたことだろう。
 で、来てしまった。
 運命の日である。
 五時三十分、幸いなことにまだウドンにかかる前で、オダサクは弁当に詰めるイワシの蒲焼きを作っていた。イワシは刺身用の手手噛むイワシを明石の魚ん棚で買ってきて開いて冷凍しておいたもの。これをオイルをひいたフライパンで皮目から焼き、最後に醤油と梅酢と味醂を合わせた調味料大さじ一程度をジュッとかけ、イワシを取りだしたら、こんどはフライパンに残った調味料に青ネギを炒め合わせ、摺りゴマで和えて弁当箱に水分が出ないようにすれば弁当のおかず二品である。これに自家製のらっきょうと小梅とカブの漬物、さらに冷凍してあるヒジキの煮物を解凍して詰め合わせ、よくもまあこと細かに憶えているもんだと感心するが、運命の朝とあってはそんなものかもしれぬ。で、その弁当を整え、まさにウドンを茹でるための水を中華鍋に注いでいる(麺類を少量の水で茹でるには中華鍋が最適で、なぜなら沸騰した湯の対流が内側へ反転し云々とイラスト付きで『我が生涯の恋』にはあるが割愛)、五時四十六分、まさにそのときにP波が来た。P波とは地震の時に最初に来る波のこと、Pはプライマリーの頭文字である。まさに突き上げるような垂直方向の揺れで、レンジのフライパンが激しく飛び上がった。次に来たS波、これはセカンダリーの頭文字、すなわち二度目の波、宿舎ごと水平方向に数十センチは激しく振られ(地震波の性質についてのイラストと波動方程式付きの解説は割愛)、立っていられなくなってしゃがみ込めば、だらしなく開けていた食器棚から食器類が飛び出した、のがこの朝、陽が昇るまでに見た部屋の中の最後の映像、すぐに電気が止まった。
 暗闇だった。
「アネさーん」
 返事はない。
「アネさーん」
「サクちゃーん、何があったの?」
 奥の部屋から声がする。
 這うようにして優子さんの枕元まで行けば、手探りで互いの手を探り合い、握り合い、
「サクちゃん、怪我しなかった?」
「アネさんこそ大丈夫か?」
 と、まるで普通の夫婦のように互いをいたわりつつ、
「西宮でこれなら、東京は壊滅ちゃうか?」
「だったら、日本はどうなるのかなぁ」
「とりあえず、ベランダに出てみるわ。誰かおるかも知れへん」
 確かにベランダに出てみれば、下にはカーラジオで情報収集しているらしい人の影も見え、どこかから「何か情報ありませんかー」の声がして、「震源淡路島ぁ、大阪震度5ぉ」の答えがあり、震源が淡路島ならとりあえず東京は無事だろうし、東京が無事なら何があっても救助は来ると優子さんに告げ、まるで普通の夫婦のように二人で一つの布団にくるまって夜が明けるのを待てば、運命の日でも当たり前に夜は白々と明けるもので、不思議に静かな朝になって、「バチッ」という音と共に突然電気が復活した。
 テレビを付けるとヘリコプターからの映像が延々と流れ、六甲アイランドの液状化で噴き出した泥や(液状化現象について延々と続くイラスト入りの解説は割愛)や横倒しになった高速道(なぜ北向きに倒れたのかについてのよく分からん数式を交えた考察も割愛)が映し出され、ようやくオダサクたちは何が起こったのかを知ったのだった。
 九州の優子さんの家族に無事を知らせようと電話をかけたが不通だった。それでも音はしたから、単なる回線のパンクだと思われ、案の定、外をみれば、宿舎の公衆電話には長蛇の列が出来ていて、電話回線自体は生きているのだと分かった。
 恐る恐る試したガスも生きていた。
 ただ、流しっぱなしだったはずの水道は止まっていた。中華鍋に溜まっていた水を空のペットボトルに入れて飲料水にした。
 その時、ふとオダサクは奇妙な胸騒ぎがして、優子さんに弁当を渡し、
「ちょっと様子見てくるさかい、ここで待っとって。今日は職場に行くのは無理やと思うし、部屋を片付けといて」
 そこで余震があった。
 優子さんは悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。
「大丈夫、本震より大きい余震はあれへん。地震ちゅうもんはな……(以下に続く、地震のメカニズムについての長い講釈は省略。本当に『我が生涯の恋』の通りしゃべったのなら、講釈は二十分近く続いたと思われる)」
 やっと落ち着いた優子さんを置いて宿舎を出、仁川を渡り堤防を降りれば、そこには土煙の中、毛布をかぶった人々が右往左往しているのだった。さらに少し歩くと、つぶれた家屋の屋根に男たちが取り付いて瓦を剥がしていた。
「あれは?」
 と、そばにいたおばちゃんに聞くと、
「まだなかに二人おんねん。道具がなんにもないさけ、何もかんも手作業や」
 テレビが上空から映し出していた街の底では、潰れた家に何万もの人々が閉じこめられていたのである。
 オダサクの胸騒ぎはこれだった。
 何も言わず、オダサクも潰れた家の屋根に取り付き、瓦を剥がし、その下の土を掘った。男たちが梁を外すことが出来ずにいると、オダサクは倒壊した他の家から適当な材木を持ってきてテコにした。梁はすぐに外れ、そこに潜り込んで天井だった板を剥がせば、土だらけの人の頭が見えた(なぜ家の屋根に土があるのかについての、関西と関東での家屋の造りの違いについてのイラスト入りの注釈も割愛。基本的なことだけ記せば、関西の家屋では夏の強い日差し避けのために瓦の下に土が敷いてあり、オダサクによれば、この構造では家屋の重心が高くなり地震での倒壊リスクが高くなる)。呼びかけたが返事はない。さらに板を剥がしていくと、二人はこたつに入っていた格好のままうつぶせていた。総掛かりで一人ずつゆっくり引き出した。二人とも体温はあり、顔のかすり傷以外、血の一滴も出てはいなかったが、息はなかった。見れば、こたつの上においていただろうミカンは土だらけになってひしゃげ、湯飲みも二つ、並んで割れて転がっていて、早起きの老夫婦を襲った惨劇に、オダサクの「心の基礎代謝」(この言葉はここが初出)が一気に上がった。
「こんどはこっちや!」
 誰かの声がして、「心の基礎代謝」の上がっていたオダサクは一気にかけ出した。
 朝食も昼食もとらず、日が暮れるまで、オダサクたちは十四人を掘り出した(残り十二人の詳細にオダサクはノート十八ページを費やしている。書き残したかった意気込みは理解できるし、記録としても貴重なのだろうが、本筋とは関係ないので涙をのんで割愛)。そのうち亡くなっていたのは最初の二人だけだったから、偶然そこに集まったシロウトの働きは実に素晴らしかったと言わずばなるまい。このこともオダサクの「心の基礎代謝」をさらに高めた。
 宿舎に帰ると、玄関先で、優子さんは土だらけのオダサクを見て悲鳴を上げた。
「とにかく外は酷いことなっとる。俺はこれから天神橋に帰って炊き出しとか支援の用意をしよと思てるけど、アネさんはどないする?」
「職場にはどうやっても行けないみたいだし、天神橋に行けるなら行きたいたいけど、私、ホントに行ってええの?」
 優子さんはそれまで一度もオダサクの大阪の実家に行ったことはなかった。もちろん電話を受けたことも、かけたこともない。九州から両親たちが来たときの食べ歩きも、わざわざ大阪を避けていたほどだ。
「ええの? もクソもない、今は平時やあれへんねんから」
 で、玄関から上がりもせずに汚れた服のまま、オダサクと優子さんは武庫之荘まで歩き、夜八時過ぎに天神橋の実家に着いた。
 八年ぶりだった。
 二人の姿を見るなり、母親は泣き始め、オヤジさんは絶句した。
「あいさつは後や。とうちゃん、商店街の連中に連絡とってくれ。炊き出しとか支援とか、商店街として出来ることを考えなあかん。向こうは戦場や、大変なことになっとる。こうしてる間にも、人がどんどん死んどるんや。この非常時や、うちの家のなかのいきさつとか、細かいこと気にしとったらアカンで。ワシはこれから公民館を借りる手続きに行くさかい、人を集めて……」
「サクちゃん(母親もオダサクのことをこう呼んでいた)、まずはお風呂でも……」
「そんなヒマない! 今日も一日で十四人を掘り出してきたんや。そのうち二人は死んで……」
 オダサクは声を上げて泣き始めた。優子さんももらい泣きした。二人とも「心の基礎代謝」が異様に上がっていたのだ。
「もうええ、わかった!」とオヤジさんがはじめて口を開いた。「果物屋の津島が今の町会長や。ワシが行って手続きしたる。お前はとにかく風呂に入れ。飯は食ったんか?」
「朝からなんにも……」
「おーい! 作也と嫁はんに風呂と飯や!」と奧に向かって叫ぶや、股引のままオヤジさんは駆けだした。オヤジさんの「心の基礎代謝」も上がっていたのだろう。
 ここから「※」印までは、ワタクシ、ダザイ自身の経験を交えて書く。
 あの日、ワタクシの一家が震災のテレビにかじりつきになっているところに、
『ドン、ドン、ドーン、ド、ド、ド、ド、ド』と、勝手口をムチャクチャに叩く音がして、家中でいちばん腰の軽いワタクシが出てみれば、小田のオヤジで、その血相から、西宮のオダサクに何かあったことが察せられた。
「え、えらいこっちゃ、作也が帰ってきた……」
「一人でか?」
「いや、嫁はん連れで……あのな修ちゃん、いまはそんな場合やないねん! とにかくあの作也が、髪なんか真っ茶色にして帰ってきてんねん!」
「あいつ、ええ歳して髪を真っ茶色に染めてんのか!」
「ボケとる場合か! 泥やねん、なんかしらん、全身もう泥だらけやねん。とにかく人がようけ埋まっとるんやと」
「地震って、泥のなかに人が埋まるもんなんか?」
「そんなん知らん! とにかく、作也も今日、十四人掘り出したんやと、で、全身泥だらけで帰ってきて、商店街として支援せなあかん言うとんねん、やから、公民館を借りる手続きをして、人を集めてくれって、ワシはそれを言いに来たんや」
「おっちゃん、それ、電話でも良かったんちゃうんか」
 小田のオヤジはいきなり正気に戻り、股引姿を急に恥じて、
「ほな、頼むわ」
 とだけ言って帰った。
「お父ちゃん、聞いとったか?」
「ああ、今から連絡網まわすさかい、緊急招集やな」
 こうして十時過ぎには商店街の主なメンバーが公民館に集合した。
 公平に言って、あの夜のオダサクは「心の基礎代謝」が低いどころの話ではなかった。むしろ輝いていた。しかも、こちらのオダサクを見る目も違っていた。なにしろ今朝被災したばかり、そして倒壊した建物の中から十四人も助け出し、その泥も落とさぬままの格好で飛んできたオダサクである。商店街の連中も、日がな一日マスコミの報道を滝のように浴びたことで、自分たちも何かせねばという気持ちになっていた。地震の話など聞くヒマもあらばこそ、オダサクの作った計画に従って、ただひたすら動くだけ。毛布、タオル、濡れティッシュ、医薬品、インスタント食品、水そしてトイレを作るためのペット用の砂に至るまで、とにかく持てるだけ持って電車と徒歩で被災地に入る、と。食材を車で運んで行っての炊き出しとか、そんなお祭り騒ぎのような支援を考えていた連中にとっては拍子抜け、しかしオダサクが言うには、
「二、三日はまだ現地でも冷蔵庫の蓄えとかあんねん。炊き出しはそれが尽きてからや。まずはうちの商店街で物資を持っていって避難所との関係を作る。とにかく現地は寝るところも有れへんねんから。それで避難所との関係が出来たら、そこを拠点にして炊き出しも日常的にやる。あれは2、3日で済むような災害ちゃうねん。年単位での仕事を考えなあかん。覚悟してくれ」
 もう一度言うが、この夜の公民館でのオダサクには後光さえ差していた。で、忌々しいことに、その公民館に和美がいたのである。炊き出しなら女手も必要になるかも知れないと気を回して、ワタクシが和美にも声をかけておいたのだった。確かにあの夜の公民館には大変な人数が集まったから、オダサクが和美のことを「良く憶えてはおらぬ」のも当然かも知れぬ。ところが和美にとってはこれが運命の日になってしまったわけで、あの日のオダサクを眺める憧れに満ちた目を思い出すとき、ワタクシがなんとも忌々しい想いを抱かずにはいられないことも、読者の皆さんには是非ご理解いただきたい。
 で、地震から三年が経った歳の五月、オダサクと和美はのっぴきならぬ関係に落ちた。オダサクはともかく、和美の気持ちがのっぴきならなくなったのである。もちろんオダサクは例によって和美に「いつのまにか、深く愛されることになっていた」などと、まるで夏の夜に蚊に刺されたのに気づいたような書き方をしているのだが、その裏では、以下に記述するようなワタクシと和美の地獄のようなやりとりがあったのである。
「ごめん、もう修ちゃん(和美はワタクシのことをこう呼んでいた)と会うことはもう出来へん」
「……オダサク、やろ」
「ごめん。私もう、自分の気持ちに嘘はつかれへんねん」
「あいつがどんな男かわかっとるんやろな! それに奥さんもおんねんぞ!」
「……」
「奥さん以外にも、何人も……」
「小田さんがどんな人か、そんなん関係あれへん。私の気持ちの問題やねん。私の気持ちの問題として、もう修ちゃんとは会われへん」
「オダサクは、知ってんのか、お前の病気のこと……」
「……」
「こないだオダサクに聞いたで、あいつの小説を読んでるそうやないか、お前」
「やめて!」
「オダサクに才能があるとか、おだてとるらしいな」
「修ちゃん、おねがい、やめて!」
「お前、いつから小説が読めるようになったんや?」
「だから、お願いやから、もうやめてよ、修ちゃん。そのうち小田さんにはきちんと話すよって……やから、今は……」
「そういうお前の態度が、バレたときにいちばんあいつを傷つけんねんぞ!」
「でも、私には分かんねん、あの人には何かあんねん。小説か、何か分かれへんけど、何かの才能があんねん。それが今のままじゃダメなんよ。あの人は、誰かが支えて……」
「優子さんがおるやないか! お前の出番なんか、どこにもあれへんがな」
「わかっとる。でも、あの人には私のような理解者が何人も必要なんよ。奥さまには申し訳ないけど、奥さま一人じゃ、絶対に理解者が足りてへんのよ」
「お前、よう、いけしゃあしゃあとそんなこと言えるな」
「ごめん、でももう私、自分の気持ちには嘘はつかれへん」
 こんなやりとりを半年ほど、何度繰り返したことか。もちろん和美も憔悴していたし、ワタクシも疲れ果てていた。
 で、ついに言ってしまった。
「オダサクの名作読んで惚れたんやな。良かったな、病気治って。せいぜい長生きせえや」
「それって、酷い! 酷すぎるわ! もう修ちゃんの声も聞きたないわ!」
 これで、それまで電話には一応出てくれていたのに一切接触拒否になり、結局、家の手伝いもサボってつけ回すようになったワタクシから逃げるように、和美はどこかへ引っ越したのだった。ところがそのくらいで諦めるようなワタクシではなく、あちこち嗅ぎ回って神戸のマンションを二タ月がかりでやっと突き止めるや、深夜、そのマンションの駐輪場で寒さのあまりカップ焼酎を次々空にしつつ和美の帰りを待っていると、
「ちょっと……」
 職務質問されて逃げれば急に酔いが回って足がもつれ、いつの間にか四、五人に増えたポリ公の群れに捕まって寄ってたかって地べたに押さえつけられ、雨の中、さらに抵抗して干潟のムツゴロウのようにさんざん泥の中を転げまわり、髪の毛から靴下まで泥まみれになって留置場に叩き込まれた。
 同じ泥まみれでもオダサクとはエライ違いで、神戸まで迎えに来てくれたお父ちゃんにはいきなりブン殴られるし、商店街でも、果物屋の三十過ぎのバカ息子が定食屋の二十歳の一人娘を追い回しとると噂になっていたのがついにこの警察騒ぎ、街も歩けんようになって、逃げるように泣く泣く東京に出た。三十過ぎでも仕事がなんとか見つかったのは、学生時代に小劇団にいた、その時のツテがあったからで、東京の劇団の演出部に就職というか、そこの仕事を手伝いはじめたのだった。若気の至りも身を助くというか、まあ、そんないきさつはどうだっていいといえばいいのだが、オダサクがワタクシに『我が生涯の恋』を託したのはワタクシが芝居という「物語」に関わっている唯一の友人だったからで、そして逆にワタクシが「物語」に関わるようになったのはオダサクに和美を取られたからで、と、このちょっと連環記めいた因縁話も、悲恋を彩るエピソードの一つとして紹介する意味も多少はあるかもしれぬと、ここに書き記した次第。(※)
 さて、これまで、オダサクと和美が「のっぴきならぬ関係」に落ちたなどと意味深に記してきたのだが、これには実は意味があって、と言うのも、和美は妊娠を極度に怖れ男女の最終的な結びつきを絶対に避けていたから、ワタクシもキスさえ許されず、いかなオダサクとはいえそれは同じで、通常の「男女の関係」などの表現があらかじめ禁じられていたからである。
 というか、オダサクにとって、というよりもワタクシにとってもそうだったのだから、もしかしたら男とはそういうものかも知れんが、障害があって容易に到達できない女だからこそ、和美という女を深く愛してしまったのかもしれぬ。
 和美はなにしろ「呪われた家系」の生まれだった。
 もちろん一時は理学部にまで進んだオダサクだったから、呪いなど「非科学的迷信」の一言で片付けているのだが、それでも和美の家系で記録に残っている限り、ある症状の出た女性は三十までに必ずガンで亡くなっていた。その症状とは、例によってオダサクは「非科学的迷信」と関連を否定しているのだが、難読症である。和美の家系に出現する難読症の女性は記録に残っている限り、間違いなく早世する。和美が八つの時に二十九で卵巣ガンで亡くなった母親もそうだった。和美自身も文字や数字を画像として記憶する術を身につけてからは難読症が日常の障害になることはなかったものの、数限りない文字がバラバラに組み合わさった長文はほとんど読めなかった。だからそもそも、オダサクの書いた小説を和美が読めるはずがなかったのである。
 そのことをベッドで、和美から泣きながら告げられたオダサクは、
「ほんまか」と絶句し、怒りより愛しさが先に立って、和美を抱きしめた(ああ忌々しい、ケッ! いや、失礼)。
「でもね、私にはわかるんよ、サクちゃんの書いた小説の文字の並びというか、それはキレイだと思うの。嘘じゃあれへんよ」
 オダサクはその時、小説をプリントアウトした紙を和美が眺める様を思い出した。
 確かに視線の動きは不自然だったし「キレイ、すごくキレイ」という不自然なホメ言葉や、その言葉が出てくるタイミングも不自然に早すぎた。それでも確かに不自然は不自然だったけれど、それを問いただすにはオダサクの「心の基礎代謝」は低すぎた。そのころのオダサクにとって、和美の反応など「三軒先の飼いウサギ三羽が三日続けて三回クソをした」のと同程度の、どうでも良い出来事だったのだ。けれど今、それが全て自分を喜ばそうとて仕組んだ芝居だとわかってみれば、そのあまりの稚拙さに逆に愛しさが湧いてきた。
 そこへ追い打ちのように「もう一つ、あんねん」と「呪われた家系」の話である。
 それまで和美はオダサクとも男女の最終的な結びつきを拒んでいたのだが、オダサクにとってそんなことは女性と付き合う上でなんの障害でもなかった。男になったはじめからして、自らヤりたいと思う前にヤられてしまっていたオダサクである。オダサクによれば女とは「肉欲がはじけそうに詰まった危険な風船」であって、その肉欲をいかに安全に処理して鎮めるかが大問題、自らの快楽など一瞬の付属物でしかない。だから和美の要求も、それが和美流の肉欲の処理方法だろうぐらいにしか思っていなかった。オダサクにとって和美は、その他の女性と同様の、危険ではあるが基本的にどうでもいい存在だったのだ。
 ところが「子どもが出来ても最後まで育てられへんねん」などと、男女の関係を拒む本当の理由を聞かされて、オダサクの何かに火がついた。そんな「非科学的迷信」にまで「それもそうやな」と頷いて見せるほどにオダサクの「心の基礎代謝」は低くなかったし、自分はそんな「迷信」にさえ負けたのかと、奇妙な嫉妬も感じたのだった。
「もうええから」とオダサクは自らの混乱を押さえるかのように、もう一度和美を抱きしめた。
 これが、オダサクが生まれて初めての、そして最後の恋に落ちる、その落ち始めだった。
 こうしてオダサクと和美は二人して「のっぴきならぬ関係」に落ちたのだった。
 それからしばらくして、またベッドの上で和美は言った。
「私、サクちゃんにお願いがあんねん」
「何? 何でも言うてみ」
「私、サクちゃんの小説、読みたいねん。でも私、アレやから、今度、サクちゃん、声に出して読んでくれへん?」
「ああ、ええよ」
 と軽く言ってみたものの、オダサクは昔のオダサクではなかった。「本当の恋」を知ってしまったオダサクである。もはや自分の書いた小説、しかも新人賞に応募して一次選考にも残らなかった小説を「下読みのシステムに問題があるんやろな」などと、いけしゃあしゃあと人のせいにしつつ平気で和美に渡していたころのオダサクではない。
 自分の本当に愛する女性に読み聞かせることを前提に、前に和美に渡した小説『赤と緑』を読み返してみれば、
『いつだったか、少年期のある朝、冬の寒い強い北風を浴びながら、ひとり玄関先で赤と緑の五ミリの線が交互に塗られたコマを回す私はひどく孤独であった。そのコマの重心は低く、だから安定してはいたが、見た目にも、赤と緑の縞であった。コマは赤と緑の縞が描かれて止まっているようだが回っていた。それは今、赤(共産主義)と緑(エコロジー)に挟まれた私の心そのものである』云々の、幼稚さを通り越したバカバカしさは、今のオダサクには火事場の火を見るよりもあきらかだった。
 こんなものを自ら和美に読んで聞かす!
 想像しただけで生涯の不能になりそうだった。
 他の小説も似たようなもので、この時、はじめて、オダサクは自分に小説の才能がないことに気づいたのだった。そして、そう気づいてみると、いったい自分の三十五年の人生は何だったのかと、激しい後悔が襲ってきた。自分が今まで専業主夫に甘んじていられたのも、近い将来、必ず作家になれると思っていたからだ。それが、今、自らの目にも、自らの才能の無さが見えてしまったのである。
 科学者になっていれば……あるいは法律家になっていれば……後悔は後悔を呼び、ある夜、一人でヒッコリーのナッツをツマミにハイランドモルトのウイスキーを舐めていると、不意に涙がこぼれてきて、ついに声を上げて泣き出してしまった。自分は何の作品も残すことも出来ず、子どももなく、死んでいくのだ……そう思うと泣かずにはいられなかった。雰囲気に気づいた優子さんが起きてきた。
「アンタ、なにしてんの?」
「うるさい!」
「明日も弁当いるんやで。起きれんかったら困るで」
 天神橋の実家公認になってから妙に大阪人化した優子さんの言葉にカチンと来た。
「オレはアネさんの嫁か?」
「何言ってんの?」
「アネさんは、オレに才能があると思うか?」
「何の?」
「小説の、に決まっとるやないか!」
「小説? あんた、まだ小説なんか書いとったんか? あほらし、早よ寝なさい」
 そのころもう別になっていた寝室にそれぞれ戻り、それでもオダサクは朝まで一睡も出来なかった。
 で、その時得た結論が、
『もう死んでやり直すしかない。という気持ちでアネさんと別れ、和美とやり直すしかない』
 これはもう、本気の本気だった。で、本気の本気であるが故に、自らの「小説もどきのバケモン」を和美に読み聞かせるわけにはいかなかった。それならいったいどうすればいいかと考え、考え、考えあぐねたすえ、オダサクが辿り着いた結論は、元祖オダサクたる織田作之助の作品をパソコンで打ち直してまるで自分の小説のように和美に読み聞かす、という、なんとも他愛のないものだった。
 ここでもうひとつ、オダサクには汚い読みがあった。というのも、そのころ和美は震災ボランティアで知り合った宝飾デザイナーと組んで、神戸の元町でネイルアートサロンなるものを始めていて、奇抜でありながら上品なデザインはその筋の注目を集め始めていたのだった。和美の生活の基盤はこれからガッチリとしっかりしてくるだろう。だからアネさんと別れても大丈夫……。
 で、オダサクによる元祖オダサクの読み聞かせはどうなったかといえば「史上、類似例を探すのが困難なほどの大成功」だった。
「これの設定は戦前やねん。大阪の人情ちゅうモンがまだナマで、活き活きと生きとった時代の話やで」
 などと最初に見せた元祖オダサクの『木の都』、これには原稿を取りだした瞬間、
「キレイ! なにそれ、こんな小説、これまで見せてもらったっけ? もっとよく見せて、すごいわ、これ……ええと、これは『大阪』で、これが『木』でしょ、大阪の木のお話やね。はよ、はよ読んで、サクちゃん」
 ものすごい食いつきで、オダサク自身、元祖オダサクへの激しい嫉妬に襲われた、のもつかの間、パソコンに打ち込んでいたときには感じられなかった文章のリズムが読めば読むほどに心地よく、和美と一緒に元祖オダサクの世界に連れて行かれた。
『……風は木の梢にはげしく突っ掛っていた』
 と、読み終われば和美と共に深呼吸して、二人同時に、
「名作やぁー」と嘆息してしまった。
「やっぱサクちゃんには才能あるわー絶対あるわー。サクちゃんは絶対、このままで終わる人やあれへん。絶対に世に出る人や。私は本、読めへん人やけど、わかる。この小説は名作や……ああ、良かった。実は私、恐かったんやで、もしサクちゃんの小説がつまらなかったらどうしょうって。私、ホンマ、アホやナァ、もっと早うに、もっとたくさん、サクちゃんに読んでもろてたらよかったわ。ねえ、この原稿、もろてエエ?」
「ええよ。データはパソコンに入っとるから」
「うれしー、これ、毎日眺めて暮らすわ」
 次に会ったときは『競馬』、次は『アド・バルーン』と、次々とオダサクの短編が読破され、打ち直すのに手頃な作品も尽きてきて、嫌だったが仕方なく『夫婦善哉』を読んでやると、これがまた大当たりで、
「すごいねぇーサクちゃんらしさがよう出てるわぁ、柳吉ってサクちゃんそのものやねぇー良いねぇーその時代にサクちゃん生まれてたら、きっと、もっと良い味を出してたと思うよー、いいなぁーその頃のサクちゃんと一緒にミナミを食べ歩きたかったなぁー」
「今でも自由軒とか夫婦善哉とかあるんやから、今度食べにいこや」
「アカン!」と、和美にしては断固たる拒絶だった。
「なんでぇ?」
「人に見られたら、どないすんねん」
「ええやないか、飯食うところくらい見られても」
「大阪は、あかんて。人の口に戸板は立てられへん、不義密通は大罪やで」
「ふ、不義密通って、いったい何の時代の話やねん」
「時代は関係あれへん、あかんもんはあかんねん!」
 じゃあなんでこうやって裸で男とラブホのベッドにおんねん、などとツッコマないのがオダサクの人情なのか、ずるさなのか、黙っていると、和美は一族の呪いの根源について話し始めた。
 和美がそれを知ったのは中二の秋、親戚の、それも二十八で早世した女性の葬儀の時だった。会食で隣に座った東京の大学生の従姉妹が初対面であるにもかかわらず「女という原罪を負った者同士の気安さで」その呪いについて語ったのだった。その従姉妹は和美が難読症で、しかも母親が早世していたとは知らなかったのだろう。
『……江戸時代にね、うちの一族ってものすごく偉いお侍だったらしいの。で、ありがちなんだけど、そこのお坊ちゃんにお女中さんがお手つきになって、お手つきって、お坊ちゃんにとっては、まあ軽いお遊びよね、ところがお女中さんは本気になっちゃって、奥さんにしてくださいって迫って、証文まで取ったらしいの。で、お坊ちゃんの両親にもその証文を見せたんだけど、ところがそこには『この者不義密通の大罪人にて候、即刻処断すべきにて候云々』って書いてあったんだって。このお女中さんは文字が読めないもんだからお坊ちゃんを信じきってたのね。でもおおっぴらにしたら家の恥だからって、内々で処分することにして、女中部屋の奧に閉じこめて、毒と水を与えたの……』
 これに続く話に和美は骨の芯から凍りついた。
『男の人は切腹でも介錯して首をすぐに落とすでしょ、苦しみなんか一瞬だけど、女の人はかわいそうよ。切腹できないし、毒なんかじゃなかなか死ねないの。苦しかったら飲んだらいいって置いといた水も、飲めば飲むほど苦しみが長引くらしいのよね。三日経って、静かになって何ともいえない異臭が漂ってきたんで奧を開けてみたら、もう、手の届く範囲の壁は全部血まみれで、あちこち剥げた爪がくっついてるし、畳には血だの汚物だの溶けた内臓だのが流れ出てて、その中に、苦しくてかきむしったんでしょうね、歯とあごの骨がむき出しになった口から舌を出しっぱなしにしたお女中さんが、白装束も脱ぎ捨てて、髪も全部抜けて、骨と皮だけになって血と汚物まみれで、それでも虫の息で生きてたんだって。あんまり可愛そうだからって女たちに言って手当てさせたんだけど、壊れた顔が元に戻るわけじゃないし、内臓だって溶けてるから、結局、苦しみを長引かせただけだったんだって。思うんだけど、それって、他の女たちへの見せしめだったんじゃないのかな。で、その時のお女中さんが二十八歳、当時としては大年増なんだけど、それ以来、お女中さんの呪いで、うちの家系に生まれてくる女の子は文字が読めなくて、三十までに内臓が溶けて死ぬんだって……』
 オダサクはそれまで黙って聞いていたが、和美が「やから不義密通は……」と言いかけたのを遮って、
「あのなぁーお前のいう家系の呪いってそれか? ガン体質とかならまだ理解も出来たけど、お女中さんの呪い? なんやそれ? お手つきのお女中さんをいちいち殺しとったら、江戸の人口半分になってまうで。ありえへん。そんなん、そのねえちゃんの創作や、見てきたような嘘や。内臓が溶けるやて? 毒キノコの環状ペプチドをいくつか上手く配合したらそういう症状も出るかもしれんが、まあ、日本には毒殺の文化はあれへんし、ありえへんな。それ、シブザワとか読んで毒薬の知識を少しかじったねえちゃんの創作やろ。ああ、あほらし」
「でも、うちのお母ちゃんも……」
「心配なんはわかるけど、偶然や。ありえへん。これまで色々心配して損したわ。そんな、おったかおらんかったかもわからんようなお女中さんに遠慮することはもうあれへん、今日という今日はするで、してまうで」
「や、やめてよ、サクちゃん。本当にアカンねん」
「不義密通がアカンのやったら、不義密通やなくしたらエエねんやろ、オレ、前から思とったんや、アネさんとは別れる。別れて和美と結婚する。そしたら不義密通やなくなるやんか。それで子ども作ったらええねん。絵本の読み聞かせくらいオレがやったるがな。読み聞かせだけやない、授乳以外の子育てはオレが全部ヤッたるよって大丈夫や。和美もおっぱいオッパイに追われてたら家の呪いがどうたら、言うてられへんようになるて、な?」
 とまどいからか嬉しさからか押し黙る和美に、オダサクはいきなり強引に、それまで触れることも許されていなかった場所に指を入れ、ところがその途端に和美の尋常ならぬ叫び声で、しかもオダサクにも指先に石のような硬い違和感があった。
「痛ったー、もう、サクちゃん酷いわ。ぜったい許さへんで。え、これってなんやろ」と和美が探ったシーツは灯りを付ければ血の池で、そのまま「見んとって!」と和美はロブを腰に巻いてバスへと駆け出した。尋常ならぬ血が足跡になって残っていた。
 これが一回目の入院の発端、検査してみれば子宮ガンが拳よりも大きく育っていた。子宮もひどく変形していて妊娠は無理だと言われ、全部摘出することになった。オダサクはオロオロと泣いたが、和美はこの現実を淡々と受け入れているように見えた。
 幸いにガンの浸潤は見られず、これで終わりかと思われた二年後、検査でリンパへの転移が見つかった。こうして転移が見つかるたびに入院と手術を繰り返して、この物語の冒頭の、神戸市北区鈴蘭台の病院のシーンに至るわけである。
 で、オダサクは北鈴蘭台の駅で、近くに銀行の支店があるのを見つけ、病室で預かった和美の通帳を記入した。それで仰天した。今年の五月、和美のオヤジさんが亡くなったときに、多分、葬儀費用だろう、百七十万円を引き出して残金百九十万ナンボになったあと、まったく入金はなく、ただカードから引き出されるのみで、現在高は八千二百三十九円、四月まで毎月十五日のシメにネイルアートの店から結構な売上代金が入ってきていたのが、五月からは何もない。
 和美を病院の電話口に呼び出して尋ねても何も知らず、驚いた和美から店や知人の家に電話しても「おかけになった番号は……」が流れるだけで誰も出ないという。オダサクが元町の店に飛んでいくと、すでに一昨日付での閉店のお知らせが貼ってあり、
『騙されたんや……和美が入院しとる間に売上代金持ち逃げや』
 と悔しがっても後の祭り。
 さて、困った。
 優子さんの金に手を付けるわけにも行かず、どうやって自ら和美の治療費を捻出するか。
 翌日から求人情報誌で、広告とか編集とか、そういう、文章に関わる仕事を探してみたものの、そもそもがオダサクは無経験であり、年齢を聞かれて電話口で断られるばかり。けれども一件だけ、その日に電話でアポが取れ、ところが勇んで行った面接で「え、おたく大学出てはれへんの? 除籍? 中退でもないんやな。で、それからずっと何してたの?」と、明らかにその場で蹴られた。調理師見習いにも応募したが、これも電話口で年齢を聞かれ、すべて断られた。それからコンビニの店員、工事現場、面接ですべて断られた。「めっちゃイケメン」の四十過ぎのボンボンが職場のトラブルメーカーになることくらい、苦労人にはお見通しなのだった。オダサクが遅まきながら世間の風に当たった瞬間だった。途方に暮れた。サラ金しかないかと思った。
 で、オダサクが四苦八苦しているのに気づいた優子さんは天神橋の家に電話をかけ、何やわからんが良い傾向だから仕事紹介してやって欲しいと頼めば、ちょうどその頃、オダサクのいちばん上の兄が二年前に始めた飲み屋『きよせん』でランチも出すようになってそこそこ繁盛していたが昼間の洗い場に人手が足りず、そこでよければ、ということになった。オダサクは、
「いらんことを……」と最初は憤ったが、背に腹は替えられぬ。朝十時から仕込みも手伝いながら午後四時まで、時給七百五十円、と言っても、皆がバタバタし始める午後四時で上がるわけにもいかず、結局は夜の十一時過ぎまで洗い場に立つことが多くなり、優子さんの弁当は日に二つ、ところがこれはこれで多忙な裁判所書記官には都合が良かった。
 和美の手術の時にはいてやれなかったが、退院時にはきちんと入院費と医療費を払うことが出来て、オダサクは言い知れぬ達成感を感じた。
『男は、稼いで、女を助けてこそ、ナンボや』
 遅まきながらオダサクは「男の悦び」を知ったのだった。
 だが和美の予後はあまり良くなかった。神戸のマンションも引き払って、空き家になっていた定食屋の実家に戻り、知人やボランティアさんたちに世話されながら寝たり起きたり、オダサクが食事を作りに訪ねていくと寝床で嬉しそうに笑いはするのだが、その笑顔も痩せこけて儚げだった。
 ひと月ほどして体重も増え、起きられるようになって、それでネイルアートの仕事を再開しようとしたが、和美の事情を理解した共同経営者がすぐに見つかるとは思えず、それに、そもそも、体調がそれほど良くないとあっては人を巻き込んで積極的に動くのもはばかられ、こうして和美の生活はオダサクにかかってきた。
「サクちゃん、ごめんな」と生活費を渡されるたびに手を合わすようにして、それで「奥さまに申し訳ない、本当に申し訳ない」
「何ゆうとんねん、オレの愛した女はお前だけや。オレの稼いだ金をオレの愛する女のために使う。なんの問題があんねん」
「そない言うても」
「やから、もうずっと言うとるやろ、そろそろ結婚しようや」
「あかん! 私みたいな女と結婚やなんて、口にしてもあかん!」
「けど、このままじゃ、オレの気持ちがすまへん」
「言うとるやん! 私の今の願いは、死ぬまでに一度、サクちゃんの子どもを抱くことや」
「またその話かいな」
「奥さまには相談したん?」
「するかいな、あほらし。アネさんと子作りなんて、想像も出来へん。止めや止めや、この話は」
「止められへん! 抱きたい抱きたい、サクちゃんの子ども抱きたい抱きたい抱きたい!」
「お前、ガキやな」
「ガキでもなんでもええ、サクちゃんの子ども抱きたいねん」
「アホらし、ほな、仕込みの続きがあるさけ店に戻るで」
 と冷たく言い放ちながらも、先が短いことを覚悟した和美の熱意には抗いがたく、この夕方、九州の義母に電話をして子作りのことをそれとなく相談すれば、翌日、義母から電話を受けた優子さんから「どういうこと?」と尋ねられ、
「本音を言うわ。この歳になって、オレ、寂しい。子どもが欲しいねん」
「アンタ本気? 私、もう四十三やで」
「そんなん関係あれへん! 子どもが欲しいねん、欲しい、欲しい欲しい!」
「アンタどしたん? 子どもみたいやな」
「子どもでもなんでもええ、オレとアネさんの子どもが欲しいねん!」
 ちょっと芝居がかりすぎかと思いながらそこらを転げ回って見せれば、優子さんもまんざらではないらしく、
「じゃ、明日、婦人用の体温計買ってくるわ」
 この夜、オダサクと優子さんは何年ぶりかで夫婦に戻ったのだった。
 で、何日か経って、和美に聞かれた。
「奥さまと、ちゃんとしてる?」
「しとるがな。あれから、嫌々ながら、毎晩」
「それはアカン!」
「なんや、お前がせえて……」
「やみくもにやりゃイイってもんちゃうで。やりすぎたら精液も薄くなるし、ちゃんと時期を選んで固めてやらんといかんのやで」
 で、気をつけて眺めれば本棚には『三十五歳からの妊娠』『さあ四十だ、子供を作ろう』『はじめての高齢出産』等々の本が並んでいて、
「お前、本なんか、どないしたんや? 読めるんか?」
「ボランティアさんに読んでもろてるんや」
 オダサクは和美の本気に気圧された。
「前に一度奥さまと妊娠しようとしたことがあったんよね。何年間試したんやった?」
「三年くらいかなぁ。なんで?」
「それで、検査とかしたん?」
「検査? してないで。お互い、なんとなく熱が冷めてもうたし」
「これは……どちらかに原因があるかもしれへんな。サクちゃんは他の女を妊娠させたことって……」
「あるわけないがな。ちゃんと気をつこてるし」
「気をつこてても、サクちゃんレベルであれだけ、さんざんやってて、それで誰も妊娠したことがないってのは……」
「どうゆう意味やねん!」
「サクちゃんも奥さまも、どちらも一度検査した方がええな」
「検査いうても……」
「奥さまの職場は神戸やったよね」
「ああ、神戸地裁。駅は高速神戸」
「やったら……」と和美は本棚から『不妊外来、かかるならここ!』なるムックを出してきて、付箋の付いたページを開くや、
「ここで診てもろたらどうやろ。もともと垂水の病院やねんけど、三宮でもやるようになったみたいやし、ネットの高齢出産のサイトでも、行った人が良心的やってカキコしとった」
「お前、そんなこと、ネットでも調べとるんか」
「当たり前やんか! ちゃんと高齢出産のサイトに登録もしてるで……今は読み上げソフトもあるからな。あのな、サクちゃん、もっと本気にならんとあかんで。奥さまも四十過ぎて時間は限られとるんやさかい、無駄なことはやっとられへんのやで。まずは二人でちゃんと検査受けて、対策はそれからや」
 で、そのムックを持って帰り、付箋のページを優子さんに見せて、
「まずは検査、してみいへんか」
「そうやなぁ、時間も限られとることやしなぁ」
 こうしてムックに載っていたクリニックに予約を入れて次の日曜に検査してもらうと、二人とも歳相応に厳しい結果が出た。優子さんの卵管は左右両方とも癒着しているし、オダサクの精子は数こそ足りてはいたものの直進率が極端に低く、双方勘案すれば体外受精以外での妊娠はまず無理、しかも子宮内膜はやっと五ミリしかなく、このままでは体外受精させた受精卵を子宮に戻しても着床して胎児が育つ確率は限りなくゼロ、そもそもが四十代半ばでの体外受精の成功率は数パーセントしかなくて云々。
 厳しい現実を突きつけられ、こんどは優子さんの方が本気になった。
 処方して貰ったホルモン以外にも数種類のサプリメントを飲み始め、宿舎の中にマットを敷いてヒマさえあれば歩き回り、あの人がこれで妊娠したと聞けばタンポポコーヒー、別のあの人がと聞けば高砂のお地蔵さんにまでお参りに……と、オダサクも驚くほどのハマリ様だった。
 それで半年が経ち、最初に決めた予算百万は保険のきかぬ体外受精で蒸発するように消え、さらに五十万を積み、少しずつ継ぎ足してまた半年経ったが妊娠の兆候さえなかった。
 オダサクは仕事が忙しいだのなんだのと理屈を言って三宮のクリニックには行かず、いつも採精はラブホで和美の手でしていたのだが、それも優子さんの採卵のたびに度重なれば背徳のほろ苦さや後ろめたさは雲散霧消、「三宅優子」と名札の貼られたプラスチックのシャーレに精液を搾り取る和美の手つきも慣れたもの、
「まだ、まだだめ。もう少し我慢して。いいの? 気持ちいいの? でもまだダメよ……あれぇ、元気な悪い子はここをこうしちゃおうかな。あれ、もうダメなのー? 悪い子ねぇ、でも、もう少し我慢してみようか。え、本当にダメ? もう少し我慢しようよ。だめなのかなーホントにだめなの? じゃ、イッて、思い切り出して。あー出たねー全部出そうねー今度こそ上手く行きますように」
 シャーレの蓋をして優子さんの名前が書かれた紙袋に入れて封をして、パンパンと二人で手を打って一礼、これもいつのまにか一種の儀式として定着してしまった。
 こうして、なんかもう、三人でいったい何をやっとるのかさっぱりワケがわからん状態になってきた二年目の夏、優子さんは妊娠した。
「良かったね! 奥さまも頑張ったしね」と電話口の和美の口調は弾んでいたが、会ってみれば、痩せたその笑顔の口元には得も言えぬ硬さがあった。
「なんか、あったんか?」
「おとつい、出血してん。子宮なんて、もうないのに」
 オダサクの頭から血が一斉に退いた。スーッと退く、その音さえ聞こえるようだった。ご懐妊の悦びは一瞬で消え失せた。
「病院には?」
「まだ」
「早よ行かな!」
「どこがいいやろ。こっから鈴蘭台は遠いし」
 オダサクの子どもの時にはあれほど熱心だったのに、和美は自らの病気の治療にはまったく冷淡だった。
「一度鈴蘭台の病院に行って、診てもろて、それで近くを紹介してもろたらどうや」
 で、神戸鈴蘭台経由で大阪市内の総合病院に入院した。
 そこで、ガンに栄養を取り込む血管を樹脂で詰めて兵糧攻めにする、塞栓療法なるものを受けることにした。もう和美には通常の手術に耐える体力は無いだろうという医師たちの判断だった。
 卵巣に出来たガンへの塞栓療法を終え、確かにCTに見えていた腫瘍は縮小したものの、退院して三月経っても血液の腫瘍マーカーの数値は下がらない。これは、転移したガンが他にもどこかに隠れているということで、いちど精査しましょうと医師に言われたのに、和美は、もういい、と断って帰ってきた。
「これからサクちゃんも子どもにお金かかるし、私みたいな女にこれ以上お金使わんといて。それにもう、検査は辛い。これ以上、いろいろ恥ずかしいところをいじり回されるのに耐えられへん。それで転移が見つかったら、またなんか治療やろ。それも、もうエエ。半年がひと月になるだけやったら、このまま静かに死ぬんがエエ」
「けど、オレの子ども、抱くんちゃうんか?」
「そうやなぁ、抱きたいナァ。あと何ヶ月やったっけ?」
「忘れたんか? 予定日が三月やから、たった四ヶ月や」
「四ヶ月かぁ。けど、もうしんどいわ。あとは私の運に任せよ思う。私のひと月が半年のためにこれ以上、お金使う必要、あれへんもん」
「あのな、金のことはなんも心配要らんのやで」
 そのころオダサクは『きよせん』でサブの板として包丁も握っていたのだった。最初は「主夫のシロウト芸」を恥じていたオダサクだったが、料理は技術ではなく「もてなしの気持ち」だと気づいてからは積極的にまな板の前に立つようになった。『きよせん』の若い板さんも技術はそれなりに高かったのだが「もてなしの気持ち」に決定的に欠けていて、客の見ている前で長ネギやエノキダケを袋ごと切るわ、あんかけの味をお玉でみてすぐに同じお玉で配膳したりと、それがオダサクには耐えられず意見すると、
「ご自分でやってみはります?」
 となり、包丁を渡されてみれば、まったく研げてない。店の砥石をみて「まるでだめや」と放り出すや、その日のうちに堺で砥石を四種類買ってきて全部の包丁を丁寧に研ぎ直し、その研ぎ直す真剣な姿と、軽く当てただけで鰹節さえ薄くそげる包丁の切れ味に板さんは絶句して、むしろオダサクを憧れの目で見るようになった。カウンターの中に立っていた兄嫁も、その包丁で切った大根の、じっくり低温調理すれば面取り不要の鋭い切り口に驚嘆して、それからはオダサクを積極的に使うようになった。料理は「もてなしの気持ち」というオダサクの言葉に二人は耳を傾けるようになり、それまで安易に市場で買ってきていた漬け物や干物や塩辛も全て手作りに替え、ご飯もきちんと土鍋で炊き、調味料もしっかり吟味して、そんな一つ一つの気遣いが満ちてきた店の雰囲気は徐々に、しかし劇的に変わった。思えばオダサクはずっと優子さん相手に、ヒモとしての「もてなしの気持ち」で三度三度料理をしてきた。その二十年間の非妥協的な「ヒモの意地」が今『きよせん』で生きてきたのだった。
 といってもオダサクはあくまでもシロウトだから、仕入れから始まって味付けまではともかく、最後の盛りつけにはどうしても甘さが残ってしまう。けれど、そこには正式な教育を受けた板さんのフォローがある。この二人を合わせればちょっと高級な居酒屋としては充分すぎる技術で、これで店内に「もてなしの気持ち」が満ちていれば流行らないワケがない。
 しかも「めっちゃイケメンの料理人がおる」と『きよせん』は口コミで商店街の噂にもなっていて、オダサク目当ての女性の固定客も増え、給料も時給ではなく固定で月に二十五万、もちろん家内労働みたいなものとして優子さんの職場には何も申告していなかったから、社会保障とかは全部公務員の扶養家族のままで、オダサクは給料がそのまま手取りの可処分所得、和美の生活費や治療費はじゅうぶんまかなえた。「金のことはなんも心配要らんのやで」というオダサクの言葉に嘘はなかった。
「ひと月が半年かもわからんけど、それでもこれまで頑張ったんやから、あと半年生きて、一度でエエからオレの子ども、抱いてくれ」
「そっか……うん、頑張ってみる。やっぱサクちゃんの子ども抱きたいし」
 愛しさに思わず抱き寄せてみれば和美の髪は土にすすけたようにガサガサで、土気色の肌には張りもなく、体には骨しか感じられない。しかも薬で胃が荒れているのか、息が耐え難いほどに臭い。オダサクは和美の全身に巣くった「死」を五感に感じてやりきれなくなり、和美からそっと離れると背中を丸めて泣いた。だんだんに声を上げて泣いた。運命の前の己の無力さに、己と運命を呪いながら泣いた。
「泣かんとって、サクちゃん。ごめんな、わたし、長生き出来んと、ごめんな」
 和美はそう言いながら、オダサクの背中をポンポンと、力なく叩くのだった。
 翌週、病院で全身をくまなく検査すればやはりピンポン球大の腫瘍が三つ見つかった。
 しかし脳の奧にあり、取るには相当の覚悟がいるということだった。
「右半身に麻痺が残るかもしれん、いうことやって」
 オダサクにはかける言葉もなかった。
「私、入院の前に、自由軒と、夫婦善哉と、それから口縄坂に行ってみたい。サクちゃんの小説に出てきたやろ」
「あ、ああ」とオダサクは少し狼狽えたが、自由軒や夫婦善哉の由来書きを読める和美ではないことを思い出し、
「うん、行こ、明後日は日曜で店が休みやさけ、ミナミで自由軒のカレー食べて、ぜんざい食べて、そのままタクシーで夕陽丘に行ったらええがな」
「私ら、大阪でのデートは、はじめてやな」
「大阪のラブホにでも行くか?」
「もう、そんな元気あれへんがな。もっと元気なときにいうてくれんと」
 これが最後のデートになる。口には出さないものの、二人にとってこれは「不要証の顕著な事実」だった。
 翌日、お昼の自由軒では満員の店の前に少し並び、店内では若いカップルと相席になって、二人とも元祖オダサクの「名物カレー」を注文した。カレースープで作った堅めのおじやのようなカレーライスの真ん中に卵が乗っていて、これをよくかき混ぜて食べる。
 相席で前に座ったカップルの男が同じカレーライスを「結構スパイス効いてるなー」とか言いながら食べていると、店のおばちゃんが奧から飛んできて、
「そっからはな、このソースかけて食べてな。味がグッとまろやかになるで」
「こうすか?」
「もっと、もっと思い切りかけてみ、タダやさけ」
「このくらいっすかね」
「もうええ、さ、食べて見」
「……うん、確かにまろやかになります。違います、まるで違います!」
 男の満足した様子を見て、おばちゃんもまた満足した様子で奥に消えた。
 オダサクと和美は顔を見合わせて、声を出さずに『すごいな』と言い合った。
 ふたりとも半分ほど食べて、おばちゃんが飛んでくる前にソースをかけて食べた。
「確かに違うわ」
「うん」
「聞かんとわからんもんやな」
 そう言って、和美はゆっくりゆっくりとではあるが、ひと皿きちんと平らげた。
 和美の食欲にオダサクも満足した。
 次の夫婦善哉は、法善寺の店の前で二つ並んだお椀を見ただけで「もうええ、お腹いっぱいや」となった。お水かけも、和美はお不動さんの膝にしか届かなかった。
「ほな、ココアでも飲もか。そこのアラビアのココアは本物やねん」
「サクちゃんが言うなら、本物やろな。楽しみや」
 病みついてカフェインがダメになった和美はコーヒーも紅茶も緑茶も飲めなくなり、オダサクが来たときに淹れるココアだけを楽しみにしていたのだった。
 アラビアではきちんと粉を練ってミルクで伸ばしただけのココアが出た。
「これ、サクちゃんのと同じや。甘もない」
「やろ。ここの水出しコーヒーもお勧めやけど、今はダメやからな」
「うん。体が治ってから、ぜんざいのあとにいただくわ」
「そうしたらええ」
 他に客はなく、誰はばかることのなく互いを見つめあう、豊潤な沈黙が静かに過ぎていった。
「ねえ、口縄坂って遠いんかな?」
 和美が口を開いた。
「そんなに遠ないと思うで。普通に歩いて一時間もかからんと思う」
「私、サクちゃんとそこまで歩きたい」
「寒ないか?」
「大丈夫。私ゆっくりしか歩けへんけど、今日はサクちゃんと大阪を歩きたいねん。ええやろ」
「エエも何も……エエにきまっとるやん」
「ほな、行こや。私、ゆっくりゆっくりやし、日が暮れてまう」
 ミナミの繁華街から日本橋の電気街を抜ければすぐに松屋町、そこを四天王寺の方へと登っていく坂の一つが口縄坂で、法善寺からそれほど遠くはない。けれど、和美が自ら言うとおり、ゆっくりゆっくりの歩みになって、ふたりが松屋町についた頃にはもう陽は相当に傾いていた。
 そして松屋町についてからがまた一苦労だった。
 通りに店舗を広げた何軒ものバイク屋の誰も、口縄坂を知らなかった。オダサク自身来たことがないのだから、迷って当然と言えば当然、けれど『木の都』の作者としては不格好に過ぎる。
「この辺景色変わったし」「あれ、この坂、行き止まりになっとるな。前、こんなやったかな」等々、言い訳を重ねつつ、和美を外に待たせて仏具屋に入り、そこのジイサンに「織田作之助の文学碑」の名前を出してやっと地図を書いて貰った。
 その地図を頼りに来てみれば、口縄坂とはお寺の塀にへばり付いたような細い細い坂道だった。
 和美に合わせてゆっくりゆっくり登れば、その前を野良猫か飼い猫か、何頭もの猫が横切って行った。
「猫ちゃん、猫ちゃん」
 和美のかけた声に反応する猫もいて、その猫を追ってふり返れば、見下ろす夕暮れの大阪の街は、一面、夕焼け色に染まっていた。
「……ああ、サクちゃん、見て、夕焼けや、キレイ、キレイすぎるわ」
 確かに見事な、そして切ない初冬の夕焼けだった。
「大昔はこれで海まで見えたんやろねぇ。すごいなぁ、心までキレイになるなぁ。来て良かったなぁ、サクちゃん、ありがとなぁ、連れてきてくれて」
 こうして猫を追ったり後をふり返ったりしながらゆっくりゆっくり登っていくと、織田作之助の地味な文学碑があり、それをそれとなく避けながら、通りに出て、天王寺から地下鉄に乗った。
 天神橋に戻るとそのまま入院の用意をして、和美は翌日、病院に入った。
 和美を病院に送っていった足でそのまま『きよせん』に入ると、兄嫁は、
「ちょっと、サクちゃん」とオダサクを奧に促した。
「ヨメが妊娠中の浮気は浮気のうちには入らん言うけどな……」
 何の話かと思えば、前日の大阪でのデートが兄嫁の知人に目撃されていたのだった。その知人が『あんたとこの「めっちゃイケメンの板さん」が……』と報告してきたらしかった。
「そんなもん」と反論しようとしたオダサクを制して、兄嫁は、
「浮気するなとは言わんで、アンタもまだ若いし。ただ、相手が悪い。あそこの子は……」
 そこにちょうど長兄が入ってきた。浮気云々の話は打ち切りになった。
 年明け早々の和美の手術は成功したがやはり右半身に麻痺が出て、ひと月入院した後、夕陽丘のホスピスに入った。
「この部屋な、前に連れてってもろた口縄坂と同じ夕焼けが毎日見れんねん。最高やで。ありがとな、こんな良いところに入れてくれて」
 良いところも何も、左の卵巣の腫瘍がまた膨らんできて目で見てもわかるようになったのに、これ以上なんの手の施しようもないと病院を追い出されかけ、オダサクが社会福祉協議会に泣きついてやっと紹介して貰ったホスピスだった。ここでは積極的な治療は何もしない。痛みを取ってケアをして、ゆっくりゆっくり死なしてくれるだけである。
 それでも和美は一日一日、ゆっくりゆっくり回復していった。さすがにプロの看護士たちに二十四時間看護され、食事もしっかり取って、理学療法士の助言付きでリハビリの運動をしていれば、健康的に肉も付いて腫瘍も目立たなくなってきた。
 個室のカレンダーには三月二十四日に大きな丸がつけてあり、看護師たちが、
「それって、何の日ですか?」
 いくら尋ねてもまともには答えず、
「ものすごくエエ日です」
 と言って笑むだけだった。
 優子さんの予定日だった。
 ところが予定日が早くなった。もともと帝王切開しか考えていなかったのだが、医師のシフトの関係で二月の二十七日にして欲しいと病院側が言ってきた。あまり急なのでと断ると、それでは三月の三日はいかがですかという。性別はもう女とわかっていて名前も「春香」と決めていたから、節句が誕生日なのも悪くはないし、それではそうしますとなって、入院も三月一日と決まった。それを報告に行くと、和美は、
「籍はどないすんの?」
「は? オレらの?」
「奥さまの籍のことや。内縁のままやったら、私生児になるやん」
「そんなん、かめへんて」
「かめへんことない!」
 元気な頃に戻ったかのような和美の口調だった。そのころの和美は一日の大半を寝て過ごすようになっていて、オダサクが尋ねていっても半分ウトウトしながら応対することも度々だったのに、この時の口調は元気な頃のままだった。
「私生児はあかん! 奥さまが仕事とかあって名前かえたくないんやったら、サクちゃんが名前かえたらええねん。兄さんたち三人もおるんやし、サクちゃんが小田の姓にこだわる必要はあれへん。とにかく、子どもを私生児にしちゃ、あかんねん。これは絶対、約束して欲しい」
「わかった。これから西宮の市役所行って婚姻届もろて来る」
 翌々日、二月二十五日に届けを出して、この日、オダサクは三宅作也となった(主人公の名前が途中でかわるのはややこしいので、ここでは最後まで「オダサク」でいきます)。
 で、優子さんは無事、二九九八グラムの健康な女児を出産した。
 三月三日、午後二時三十分、帝王切開だから「案ずるより産むが易し」とか、そんなハラハラドキドキの待ちの時間はなく、オダサクと、九州からやってきた優子さんの両親と、こちらのオダサクの両親と、なんだかんだと待合室で雑談している間に透明な箱に入れられた赤ん坊が泣きながら出てきた。血のついた手を振りながら赤ん坊は声を張り上げて泣いていて、それを見て、オダサクの目には涙があふれてきた。普通の夫婦のように妻のおなかを触って「あ、動いたよ」「ホンマやな」みたいなやりとりなどしたことなく、しかも和美が死んだらすぐに後を追うつもりで、父親になる自覚など敢えて育ててこなかったのに、そんなオダサクの事情など何にもかまうことなく、赤ん坊は誰かの愛情を求めて泣いている。その赤ん坊の哀れさに、オダサクは泣いたのだった。
 赤ん坊はすぐに新生児室に運ばれていった。
「これでお前も父親やな、しっかりせなあかんで」
 父親からこう言われて、普通なら反発するところ、その時のオダサクは「うん」と静かに返事をした。
 三日ほど検査が続いて、パパが抱いてもかまわないと言われた。オダサクはまず春香の写真を撮り、おずおずと抱いてみた。特に感慨はなく、とにかく一刻も早く和美に抱かせてやりたかった。
「どっち似やろ。目はサクちゃんに似とると思うけど」と優子さんが聞いたのにも上の空、前日と前々日、尋ねていったのに寝たままだった和美のことを考えていた。
 病院を出て駅前のコンビニで写真を印刷すると、我が子ながら可愛く撮れていた。それでそのまま夕陽丘のホスピスに飛んでいった。
 和美はベッドに寝たままながら看護師さんと笑いながら何か話していた。ここの看護師さんたちはすでにオダサクと和美のワケありな雰囲気に気づいていて、その時も、オダサクが来るとスッと二人きりにしてくれた。
「春香の写真、持ってきたで」
「どれ? 見せて!」
「これでーす」
 オダサクの持った写真を見て和美は一瞬満面の笑みを見せたが、次第に口元のあたりからその笑みは消えてしまい、最後には苦々しい表情になった。
「ぜんぜん、サクちゃんに似とれへんな。なんやサルみたいやし」
「そりゃお前、生まれたてやから……」
「生まれたてでも、親に似て可愛い子っておるやん」
「そう言うても、ほら、目のあたり、オレに似てへんか?」
「もうエエわ。こんなサルみたいな子やったら抱く必要もないわ。そんな気になれへん」
 和美はそのまま目を閉じ、
「ねむなってきた。わたし、ねるわ」
 オダサクは震えるほどの怒りを感じたが、その怒りの持って行き場がなかった。そして脳に出来た腫瘍が和美に言わせたのだと思って納得しようとしたが、とても無理で、思いつく限りの悪態を心の中で和美にぶつけ、それでも気が済まず、このままだと揺り起こしてぶん殴るかもしれぬと、少し早めだったが『きよせん』に戻った。
 そして、その夜、ホスピスから緊急の呼び出しがあった。「病院からの呼び出し」と言って店を出た。
 和美の病室に入ると、かつてのネイルアートの共同経営者の辰巳怜子が枕元に座っていた。
「アンタ、何を今さら……」
「事情は後で説明しますよって。和美、さっき急変して……」
 医者がやってきて呼吸と鼓動と瞳孔を確認して、辰巳怜子とオダサクに和美の死を告げた。
『終わりだ、もう本当に終わりだ。あれだけの悪態をついたのだ、一刻も早くあの世で和美に土下座してわびる。春香がバカな父の想い出を抱く前にオレは死ぬ。さらばだ』
 ここで『我が生涯の恋』は終わっている。
 オダサクは和美の死とほとんど間をおかず『我が生涯の恋』を書き終えて、それでそのまま私に宅急便で送りつけてきたのだろうと思われる。そこには「君の関わる物語の何かの足しになれば」という走り書きのメモがあったのだが、まさかこのような内容だとは思わず、二年の間、一ページも読むことなく放っておいた。
 実は『我が生涯の恋』の後半は、折に触れ、いかにして和美の後を追うかについての詳細な考察、つまり自殺の方法論への脱線が延々と続くのだが、これは公序良俗の観点からもここに記述するわけにはいかない。ただオダサクの選んだのは、
『静かに誰にも迷惑をかけず、すうっと消えるようにこの世から去る時には、生駒の野犬数十頭を道連れにするつもりだ。もし、新聞に、生駒の野犬が大量に変死、という記事が出たならば、ある一人のアホが空しく自ら死を選んだのだと知ってくれ』
 まさか電話で確認するわけにもいかず、今年の夏、ワタクシ・ダザイは大阪に劇団の営業に来たおりオダサクの消息を尋ねてみた。それがお父ちゃんに聞くと、意外なことに『きよせん』の支店にいるという。インターネットで調べてみると口コミの評判も上々で「料理長はめっちゃイケメン」とある。まさか、『我が生涯の恋』は全部創作で、オダサクと和美と二人で『きよせん』にいるのではないか。
 ワタクシには様々に憶測がされたけれど本人に会うにしくはないと、一人で法善寺の『きよせん』に七時の開店直後に行ってみた。スギの白木をインテリアの基調にした、カウンターとテーブル二つの小さな店だった。
 オダサクは、ワタクシの姿を見るや、人なつっこい笑顔を見せて、
「おお珍し、今日はまたどした? すごい髪と髭やな」
 その時ワタクシは長髪を真っ赤に染めて顔中髭だらけにしていたし、そう思って眺めれば、オダサクの髪は年相応にごま塩の、料理人らしい短髪だった。
「どうしたのはこっちのセリフや。お前、生きてんのか?」
 オダサクは声を低め、
「この店、十時にひけんねん。あとでしっかり飲も。ここはおごるさかい、何でも食うて飲んで」
「じゃ、ビールと、なんかお任せで高そうなもん、見繕ってくれ」
「了解!」
 そこへ優子さんが顔を出した。
「あれ、ダザイさん! 懐かしい、どないしはったの?」
「優子さんもこの店、手伝うてはるんですか?」
「何言うてるの。私がスポンサーやで」
「オレが裁判所ヤメさせて、その退職金でここに独立したんや。スポンサーやで、うちのヨメはんは。恐い恐い」
「公務員やめてこんなしょーもない店なんて、もったいなくなかったですか?」
「なんも。あんな急がし急がしして、子どもも満足に育てられへん。昼間は弁護士の手伝いして、夜はたまにここに顔出して、浮気してないか調査入れるだけや。人間はこうでないとあかん」
「アネさん、今日ひけたら、ここでダザイと飲むよって、帰るの朝になるから、お父ちゃんお母ちゃんに言うとって」
「もう、あんまり飲み過ぎたらあかんで」
 目の前にいるのは、まるで夫婦善哉を地でいくような仲の良い夫婦で、オダサク夫婦にいったい何が起こったのか、常日頃『事実は小説よりも奇なり』を肝に銘じているワタクシも途方に暮れるしかなかった。
 優子さんが帰ると、オダサクはポータブルのMDレコーダーを奧から持ってきた。
「聞いてくれ。泣けるで。泣けすぎたら、聞きながら外の風に当たるとエエ」
 なんのこっちゃと再生すれば、イヤホンから聞こえてきたのは、懐かしい、懐かしい懐かしい、懐かしい懐かしい懐かしい和美の声だった。
『ごめん、サクちゃん、わたし、いっぱいいっぱい、あやまらんとアカンねん。いっぱいいっぱい嘘ついとってん。でも、サクちゃんがこれを聞いてるってことは、私はもう死んでるってことやねんね。私の死に顔、見苦しくない? 私ちゃんと誰にも迷惑かけずにキレイに死ねたかな。私もう死んじゃったし、これから話すことも、死んだ私に免じて全部、許して欲しいんや。さっきはごめんな。春香ちゃん、可愛いねん、可愛すぎんねん。サクちゃんそっくりやねん。もう私、あんな子を抱いたら、きっと向こうに連れて行きたなんねん。そんなことになったらあかんから、もういらんって言うたんよ。私のような女に、サクちゃんのお子さんを可愛いなんて言う資格ないわ、抱く資格もない……』
 不覚にもワタクシの目にも涙があふれ、
「ちょっと頭冷やしてくる」と、ビールと突き出しを置いて外に出た。
 以下は、そのMDと、オダサクに直接取材した話から再構成したオダサク・和美の悲恋物語の結末である。
 和美の言う「いっぱいいっぱい嘘ついとってん」という嘘の、最初の嘘は「難読症」だった。確かに最初は読めなかったのだが、オダサクに渡された原稿を必死で眺めているうちに読めるようになってきたのだ。というのも、和美の難読症は生まれつきではなく、虐待されたことによる後天的なもので、必死に努力をするうちに治ったのだった。
 そもそもワタクシも知らなかったのだが、オヤジさんだと思っていた定食屋のオヤジは実は和美の祖父で、その娘は母親が死んだ後、十五で家出して父親のわからない子である和美を産み、その後も和美の父親でない男たちの間を転々として暮らし、娘が学齢になれば学校にやらねばという気持ちはあったものの、男から逃げたり他の男の所に転げ込んだりして過ごすうちに面倒になった。
 そのうち和美自身もワケの分からないまま妊娠、相手を知って逆上した母親に連れられて行った得体の知れない場所でやったのが最初の中絶、母親はそのうち薬物中毒になり、何も食べなくなって、ある日、薬の分量を間違えて死んだ。母の名が流れるそのニュースを和美は転げ込んでいた男の部屋のテレビで見たが、特に何の感慨もなかった。その後、和美は一度も学校に行くことなくただ様々な男たちの間を渡り歩き、中絶を繰り返し、十九で子宮頸ガンになり、手術費用の無心に、母親にどうしても困ったら行くようにと言われていた定食屋にやってきたのだった。その時は病変部位を取っただけで子宮そのものは残ったのだが、原因と思われるウイルス数種は消えず、和美は自らの早世を覚悟した。そして、せめて人にはうつすまいと、ワタクシ・ダザイと付き合い始めてからもただのキスさえ拒んできた。家系の呪いだのなんだのは全て和美の二番目の嘘なのだった(これにはワタクシもすっかり騙されていた)。
 和美自身は定食屋の娘として更正していたが、ほとんど文盲であることは社会的には致命的だった。そこで「難読症」と嘘をついた(これにもワタクシはすっかり騙されていた)。騙されなかったのは、オダサクの兄嫁やその周辺の、世間の風そのもののたくましき女たちだけで、あの定食屋の娘には何かある、と、あることないこと言いふらしては身近な男たちを和美から遠ざけていた(ワタクシはそんな女たちの勢力圏外にいたから、そのような噂に惑わされることなく、結構しつこく声をかけ、無駄とは知らず長文のラブレターを送っては色々誘って結局和美と付き合い始めたのだった。今思えば、当時の和美にとって、下らぬ嘘にコロコロ騙されるウブな堅気の男はモノ珍しく、また扱いやすく、用心棒代わりにそばに置いておくには気楽だったのだろう)。
 最後の嘘はネイルアートの店の件で、神戸の元町の店は和美と辰巳怜子で話し合って閉めたのだった。
 長文が読めるようになって元祖オダサクの本を買ってみれば『木の都』も『夫婦善哉』もそこに一文字違わず載っていた。オダサクの嘘を知り、オダサクの将来が不安になった和美は辰巳怜子と一計を案じ、文無しを演じた。これは見事にあたり、オダサクは無職のロクデナシから『きよせん』のサブ板に生まれ変わった。実際にはネイルアートの店は神戸の元町から大阪の心斎橋に規模を拡張して移転していて、和美の死後、オダサクは、共同経営者の辰巳怜子から、それまで和美のために使った金以上の金額が入ったオダサク名義の通帳を受け取ったのだった。絶対に受け取らないと言い張ったが、それが和美の遺志だと言われれば仕方なかった。これがオダサク独立の資金の一部になった。
『……ごめんな。嘘ばっかりついて。やから、サクちゃん、死んだらあかんで。こんな女の後を追ったらあかん。春香ちゃんもおるんやし、しっかり生きて、しっかり白髪になって、それも抜けて、ハゲハゲになってから来てな。そんときは奥さまと、これまでの女たちと、本気でサクちゃんを奪いあったるわ。やから、な、それまでは、そっちでしっかりやってな。ああ、もう、長いこと喋っとったら、なんや、しんどなってきたわ、ほな、さい、なら』
 ひけた後の『きよせん』でワタクシとオダサクはMDを聞き返しながら泣いた。和美を哀れんで、泣いた泣いた。飲んでは泣き、泣いては飲み、どちらからともなく言い出して、和美の最期の場所になったホスピスに行くことになった。
 タクシーで病院の前まで乗り付けたが、夜明け前の深夜のこととて中に入るわけにもいかず、そのまま二人で口縄坂まで歩いた。
 夜は白々とあけ、織田作之助の文学碑の文字もしっかりと読むことが出来た。読みながら、ワタクシは涙を抑えることが出来なかった。
『口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛かっていた』
……と、ここでこの物語を終われたらどれほど良いか。
 この日、ワタクシに「向き直って来た」「新しい現実」は、さらに過酷なもので、それこそ「青春の回想の甘さ」を打ち砕くものだった。
 まさに『事実は小説よりも奇なり』、だがそれにも程があろうというものだ。
 ワタクシは口縄坂からオダサクとタクシーに乗って実家に戻り、泥のように数時間眠った後、そのまま午前中の新幹線で東京に帰る予定だったのが、急にお父ちゃんの紹介で午後に市会議員に会うとて、日本橋まで行くことになった。演劇に関心のある議員だから知り合いになっておけば大阪公演もやりやすいだろうとお父ちゃんが気を回してくれたのだった。その厚意を裏切ってはならぬと、午後一時に議員本人のアポを取るや、一月ぶりくらいに風呂に入り、メガネをやめてコンタクトにして、美容院では髪を切って黒く染め、髭もそり落とし、高島屋で上から下までアルマーニを揃えて着替え、着ていたボロは全て捨て、気合いを入れる腹ごしらえに自由軒に行った。
 そして相席のテーブルで名物カレーを食べているそこに、オダサクと和美が連れだって入ってきた。
 一瞬、危うく死にそうになったが、二人ともワタクシ・ダザイには気づかなかった。そりゃそうで、こんなに清潔でしかもアルマーニを着たコンタクトレンズのダザイなど、二人ともこれまで一度も見たことなかっただろうから。それがしかも相席に埋もれていてはワタクシと気づくはずがない。
「えーダザイ、やっぱり小田さんの所に来たんですか?」
 横のテーブルで和美が本当に嫌そうに言った。
「来た来た。でも今頃はもう東京に戻っとるはずや。で、ゆんべは仕上げの例のMDを聞かしてな、今朝、夕陽丘のホスピスにまで連れてったった。泣いとったでーあれはすっかり信じたな」
「困るんですよねー、ダザイ、つい最近まで、オレが悪かった、でもオダサクとは別れろ、みたいな中身の、気色悪いMDを毎月みたいに家に送りつけてきてたんですよ。主人もなんやって思うでしょ。ストーカーの誤解やって言っても、これだけ何年もしつこいと、やっぱり何かあったんかもって思うやろし。でもこれでやっと終わりです。ありがとうございました」
「長かったなぁ。ラブレター断るのに『難読症』から始まって、オレの愛人だの何だの、嘘つき通して何年や?」
「もうやめてくださいよ。災難ですよ、あんなベンジョ虫なんかにつきまとわれて。ダザイのカノジョって思われるより、小田さんの百番目の愛人って言われる方がよっぽどマシですよ」
「ははは、オレはアネさん一筋やから、百番目の愛人でも申し訳ないがお断りや」
「まあ失礼やね。ああもう、ダザイなんてベンジョ虫、顔を思い出すのも嫌。不潔すぎてゲェが出る。あ、ごめんなさい、食事の前に」
「オレも震災の時に和美さんに相談されてから、ずっと苦労したんやで。あいつのシツコサはただごとやあれへんし。結局、あいつのためにノート何冊も創作して、嘘八百も並べたてて、何が『我が生涯の恋』やねん、恥ずかしゅうて涙が出るわ」
「でも、ダザイ、こっちで誰かにしゃべったりとか……」
「それは大丈夫や、あいつ小学校のころからずっとゲジゲジダザイ言われる嫌われモンで、こっちに相手してくれる友だちなんかひとりもおれへん。よしんばしゃべったとして、いったい、誰があのゲジゲジダザイの言うことなんぞ信用するかいな、ゲジゲジダザイやで」
「そうですよね、容姿も性格もまさにゲジゲジですもんね」
「あんな気色悪いゲジゲジの言うことなんぞ誰が……」
 これ以上聞いていられず、残りのカレーにソースをかけて掻き込み、二人に気づかれぬよう、静かに立って自由軒を出た。
 市会議員の用事はすっぽかして、そのまま新大阪駅で売店にあるだけのカップ焼酎買い込んで新幹線に飛び乗り、気がつけば留置場だった。
 同室だった神戸のチンピラに顛末を話したら、監視のおっちゃんにしかられるくらい爆笑、大受けで、おっちゃんまで一緒になって、ぜひ書き留めてどこかの新人賞に応募しろと言う。
 で、恥を忍んでここに書き留めた次第。(了) 

 

「イエス! スペースピープル!」
 私は伊佐山、市内でいわゆる精神科を開業している。
 先日、妙な客が来た。
 患者ではなく「客」と言うのは、診断書だけが欲しいと言うからだ。
「先生、私、正常ですよね」
 正常かどうか、それはこんな急に判断できるものではないし、返事をしあぐねていると、
「実は、就職するのに必要なんです。精神を病んでいないってことの証明が。どうしても」
 どんな職場だ、とは思ったが、診断書は自由診療で出すことが出来る。
 私はこの「客」をマジマジと見つつ世間話を交わし、これまでの経験に照らして、器質的な疾患はないだろうと判断した。
「良いですよ、書きますよ。決まった形式はあるんですか」
「あります。これです」
「客」は鞄から一枚の書類を取りだした。
 保険に入るときに使うような、簡単なものだった。
 私はその場で二十を超えるチェック項目に「異常なし」「認められない」とレ点を打った。
「客」は規定の料金を払って帰って行った。
 その「客」が今、駅前に立ち、ノボリを立てた支持者に囲まれて演説を始めようとしている。
 市会議員選挙に立候補したらしい。
 私自身、誰に入れるかは市の医師会で決まっているから、選挙自体、何の関心もなく傍観していたのだが、この「客」のノボリは私の目を激しく射た。
「宇宙人党 裁くぞグェー!」
 驚いて目を見開いていると、「客」が演説を始めた。
「私は宇宙人です」
 そして支持者たちは、
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
 と唱和するのだった。
「クッチー星からやってきた宇宙人です!」
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
「この地球を救えるのは我々クッチー星人だけです!」
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
「私は地球では第三十四銀河と呼ばれる銀河の中にあるクッチー星からやってきました。この世のすべての悪は、私の星の隣星のグェー星のグェー人たちが引き起こしているのです。今こそ地球人に紛れ込んだグェー人たちを探し出し、宇宙裁判にかけなければ……」
 完全にいかれた演説と合いの手「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」が十数分は続き、数人だった聴衆は数十人に膨らんでいた。
 ただ、みんな、話の内容の異様さに凍り付いていた。
「皆さん、キチガイのタワゴトだと思っていませんか。私は正常です。これがその証明書です」
 私が出した例の証明書だった。
「客」はチェック項目と「異常なし」「認められない」を次々と読み上げ、もちろん、
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
 の合いの手も入った。
 あまりの異様さに聴衆は身動きもとれずにいた。
「この診断書は、誰あろう、そこにいる伊佐山先生に書いていただいたものです。そうですよね、伊佐山先生!」
「客」は私を示した。
 数十の視線が、
『お前も仲間か!』
 と私を射るのだった。
「そうですよね、伊佐山先生!」
 それは事実だから仕方ない。
 首を小さく縦に振ると、支持者たちは、
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
 を連呼し始めた。
 私は逃げるようにその場を去った。
 数日して投票と即日開票が行われた。
「客」はもちろん落ちた。
 三票ということは、七、八人いたあの支持者たちは市外から来た応援だったのだろう。
「客」がそれからどうなったのか、知らない。
 これからは診断書は慎重に出さなければならないだろう。
 今でも私の耳には、あの合いの手が残っている。
「イエス! スペースピープル! 裁くぞグェー!」
2024.12.07 Saturday